新浜:はい、2023年もいろいろな現場で「紅白、行くぞ〜」「おー!!」という掛け声で毎回締めていたのに落選。その直後の『うたコン』で一緒になった純烈さんの楽屋にご挨拶に行ったら、リーダーの酒井一圭サン(49才)が「どうだ? いまの気持ちは」と聞いてくださって、「おれたちも初出場の前の年は同じだった」「でもレオン、ここ(『うたコン』)に呼ばれるのは“紅白まで、あと一歩”ということなんだ」と。ぼくは泣いてしまって、デビューからずっと付いてくれていたマネジャーも後ろで号泣していましたね。
そんな“ドラマ”を経て、『紅白』が決まって最初の『うたコン』でまた純烈さんの楽屋をお訪ねしたら、「紅白おめでとう」と書いたラベルの日本酒を用意してくださっていて。演歌・歌謡ジャンルでは純烈さん以来6年ぶりということもあり、「初出場の扉をこじ開けてくれてありがとう」とも言っていただきました。
山田:2023年から2024年にかけて、自分で意識的に変えたことはあったのですか?
新浜:実は2023年、『紅白』落選を知ったのは、年齢やデビュー年が近い演歌歌手から成るユニット「神ファイブ」のメンバーとコンサートを行っていたときだったんです。ほかにも、所属事務所やレコード会社の垣根を越えた「演歌第7世代」というユニットにもぼくは入れてもらっていて、歌ったり踊ったりゲームをしたりというステージを年間何本も行っていたんです。
それは本当に楽しかったし、たくさん支えてもらっていたし、どちらのメンバーも大好きだったのですが、ここにいても『紅白』に出る目標は達成できないかもしれないと「脱退」させてもらうことにしたんです。
いわば、“逃げ場”を自分でなくして、そちらへ行く扉を閉めて鍵をかけました。それぐらいの犠牲を払わないとダメだと思って……。