M-1史上初となる双子漫才師のファイナリスト・ダイタク
「もう縁がないのかな、とも思っていた」
──近年は毎年、今年こそはと言われていました。
大:結成5~6年目の頃に、このまま続けていれば決勝いけるよ、って周りの人に言われていたんです。それで2015年、M-1が復活した年に初めて準決勝まで行けて。周りをみたらまだ若いほうだったので、本当だ、そのうち行けるんだなと思ったんです。でも、来年かな、再来年かなと思っているうちに行けないままずるずると年数だけが経っていって、焦りが強くなっていった。ここ1~2年はあきらめというか、もう縁がないのかなとも思っていました。M-1のことばっかり考えていたら、他のことがまったくできなくなってしまう。なので、考えてるけど、考えてないフリをしていましたね。でないと、精神が不安定になるだけなので。
──それだけの思いがあった割には、ファイナリスト発表の瞬間、リアクションが控えめだったのが意外でした。
大:僕も自然と涙が出るものなのかなと思っていたのですが、7番目に呼ばれたじゃないですか。これまで5度、準決勝で負けているので、5組目くらいを過ぎても呼ばれないと、ほぼあきらめてしまうというか。あれ、今年もダメなのかな、と。だから、喜びよりもホッとしたというのが大きかったんです。あっぶね~、みたいな。
拓:ホッとしましたね。本当に。感覚で言うと、(難しい)手術が成功したあと、みたいな。
──決勝が決まって、どんな変化がありましたか。
拓:若いお客さんが多い劇場だと、露骨にウケるようになりましたね。僕らがファイナリストになったというのを知っているから。ただ、(京都の)祇園花月とかだと初めてのお客さんも多いので、そうはいかない。一般の人はM-1ファイナリストの名前なんて、まだ知らないですから。でも、スベっても「いやいや(M-1の)ファイナリストだから」って心のどこかで思えるようになりました。ただ、スベるのとは、ちょっと意味合いが違うんだぞ、と。