「渡辺さんは、ああした会合を通じて、自らの意見を披露し、そうした政治評論家らの意見をリードしていったのです。参加メンバーの意見はどんどん渡辺さんの意見に重なっていく。それによって、渡辺さん自身が黙っていても、彼ら評論家がメディアなどを通して国会議員や世論に訴えて行なっていく。そうした仕組みと見ていいでしょう。
僕は渡辺さんにも言いたいことを言ってきた。日米地位協定の廃止では意見が同じだが、軍事力強化は相いれなかった。その点では論争になります。だから僕は渡辺さんの会合には呼ばれなくなった。反論をする者を呼ばないということこそ、こうした勉強会がどういうものであるかを物語っている」
田原氏は最後にこんな言い方で渡辺氏の死を悼んだ。
「僕とは意見の違う人でした。それでも渡辺さんは、自身の信念を公然と言う人でありました。信念を公然と述べるという意味で、貴重な方だったと思います。だから渡辺さんとはもっと本音の討論をしたかった。その点で、残念に思います」