政界に大きな発言力を持ち、「総理の指南役」とも呼ばれた渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆が12月19日、死去した。98歳だった。「終生一記者」を自認して最後まで読売の主筆を務めたが、その存在は新聞人の枠を大きく超えていた。
大野伴睦、中曽根康弘という大物政治家の懐に深く食い込み、日韓条約交渉、小渕政権の自自連立、福田康夫政権では自民、民主両党の大連立を仕掛けるなど、70年にわたって戦後政治の重要な場面で政界を内側から動かした。影響力は政界のみならず、官界、経済界、言論界、スポーツ界に広く及び、「最後の黒幕」的な人物でもあった。
「渡辺さんが亡くなったことは残念ですが、日本の政治への影響というのはないと思う。というのも、これまでの日本の政治の動向は、彼の思う通りになっていっているからです」
そう語るのは渡辺氏と長い親交があった政治評論家の田原総一朗氏だ。田原氏が渡辺氏との議論を重ねるなかで感じたその思想の根幹にあったもの、日本政治への思いを追悼として語った。
「私は以前、責任編集で出版していた『オフレコ!』で、2005年にかなり長い分量の巻頭対談を渡辺さんと行なっています。そこでも出ているが、彼が徹底的に政治の上で前提としているのは、『日本を絶対戦争しない国にする』ということです。そして、靖国神社には絶対参拝はしない。靖国には戦犯が奉られているからです。
渡辺さんは僕よりちょっと年上なので、戦争に行っているんですよ。東大生だから、いろんなやり方で徴兵から免れることはできたんだが、あえてそれをやらずに戦争に行った。陸軍に入った。が、そこではかなりいじめられたんです。それは東大だから、やっかみを受けてのことだと思います。そうした体験も含めて、渡辺さんは日本は二度と戦争をしてはならないと固い信念を持つようになったのです」(田原氏、以下同)