「僕らのせいでと聞くと申し訳ない」
柿木は2年春のセンバツに、ケガを負った選手の代わりに背番号「2」で選手登録され、マウンドにも上がった。夏は柿木が先発した仙台育英戦で好投をみせるも、9回裏に仲間のミスもあり、サヨナラ負けを喫する悲運の投手になった。最高学年になると根尾や横川凱(現巨人)らとエースの座を争い、柿木が春も夏も「1」を背負った。そして春夏連覇を達成した彼らは「大阪桐蔭史上最強世代」と呼ばれた。
森友哉(現オリックス)が埼玉西武に入団した2012年頃、大阪桐蔭を卒業したプロ野球選手は早くから活躍が期待できるという声が多かった。しかし、森を最後に日本を代表するような選手にまで成長した大阪桐蔭OBはいない。柿木と同じ最強世代で、同じく高校からプロに入った根尾や藤原、横川は、高校時代の知名度や入団時の期待値からすれば、プロで大活躍しているとは言い難いだろう。なぜ近年の大阪桐蔭OBはプロで活躍できないのか――。
「それはもう、選手である自分たちが悪いとしか言えないです。正直、卒業した学校や恩師の名前でプロでの実績が作られるわけではないですよね。やっぱり入団してから成長できていない自分たちに責任がある。僕らが活躍できていないことで、大阪桐蔭に良い選手が集まらなくなっているとかいう話を聞くと、申し訳ないなという気持ちになります」
ファミレスでの昼食を終え、再び、柿木の愛車「Buddy」に乗せてもらい新鎌ケ谷の駅へ向かう。光岡自動車がトヨタのRAV4をベースにして改造・販売するこの車種を選ぶところに、柿木のこだわりも見える。
「人と被りたくなくて、ディーラーさんに『この車に乗っているプロ野球選手はいますか?』と確認したうえで、購入しました」
今後に関して柿木は「年内には決めたい」と話していた。
「NPBに戻ることを考えるならば独立(リーグ)がいいのかもしれない。チームの一員として、勝ちに行く野球、日本一を目指す野球を自分がしたいのならば社会人がいいのかもしれない。24歳という年齢は、僕の中では若いとはいえないですが、できるだけ長く野球を続けたいとは思っています」
甲子園のマウンドでみせた、躍動感溢れる柿木のピッチングをもう一度見たいと期待しているのは筆者だけではないだろう。
(了。前編から読む)
■取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)