この1985年は3月に名古屋でコンサートツアーをスタートしたのですが、やっくんはその初日の前日、フジテレビのバラエティ番組のロケで腕を骨折するという重傷を負いました。僕ともっくんはてっきりツアーは中止になるのだろうと思っていたら、「2人でやれ」と事務所から命令が。
確かに、歌はやっくんのパートを僕かもっくんのどちらかが歌ったり、2人で一緒に歌ったりすればいい。ですが、やっくんの代わりになるようなMCは難しい。初日、何とか2人で盛り上げようとがんばったのですが、うまくいきませんでした。
それで、初日の夜、僕とバックバンドのベーシストのKUZUくん(葛口雅行)と2人で、僕の宿泊する部屋でどうしようか、と相談し「ラップでもやろう」ということになりました。ちょうど、米国のヒップホップグループ「Run-D.M.C.」の曲が日本にも入ってきていたときで、ラップならメロディーを気にしなくていいですから。
僕らは外食が禁止だったから、その日は寿司をルームサービスでとって食べていました。単品で「中トロ、コハダ、アジ……」とメモをとりながら。僕が好きなネタがトロで、KUZUくんが光り物が好きだったから、それがそのまま歌詞になったわけです(笑)。「韻を踏まなきゃいけないね。ショウガのガリと、上がりのアガリ、でどう?」「途中でラッシャイって入れてみようか」なんて言ったりして。夜中の2時頃です。