司忍組長率いる六代目山口組から神戸山口組(井上邦雄組長)が分裂、さらにその神戸山口組から絆會(織田絆誠会長)、池田組(池田孝志組長)が分派し、勃発から10年を迎えた今も抗争は収束していない。果たして今年、決着がつくのか。ジャーナリストの溝口敦氏とフリーライターの鈴木智彦氏が対談した。
会津小鉄を独立組織としておくメリット
鈴木:昨年は抗争事件に大きな動きがあった1年でした。まずは昨年2月、絆會のナンバー2である金澤成樹若頭が仙台市で逮捕されました。
溝口:逃亡中にあれだけ多くの事件を起こし、防犯カメラ映像にも姿を晒していたからね。
鈴木:金澤若頭は2020年9月にかつての配下を銃撃してから逃亡生活を続け、その間、ラーメン屋店長をしていた六代目山口組三次団体組長を射殺するなど、2つの殺人事件を起こしたと見られています。若頭という前線指揮官とはいえ、なぜひとりで複数を殺したのか。暴力団抗争では、一人殺せば無期懲役なので、極刑もあり得るのに。
溝口:自発的な行動でしょう。彼は10代から絆會の会長である織田絆誠に心酔し、織田一門のトップという自負があった。織田に言われるまでもなく、逃亡中も時間を無駄にせず、行動したほうがいいと判断したはずです。
鈴木:たしかに二度の殺しは、実質、「死んでこい」という命令に近い。高圧的に命令されて従うとは考えにくい。
溝口:織田が“あご”で使って、「お前が殺れ」と命令したなんてことはないですよ。
鈴木:9月9日には、同じく六代目山口組と抗争中である宮崎県の池田組志龍会本部に、宅配業者を装ったヒットマンが来訪、応対に出た幹部を射殺しました。実行犯は会津小鉄にいた幹部です。
会津小鉄は京都の老舗独立組織ですが、折しもその直後の9月30日、六代目山口組直参で、淡海一家の高山誠賢総長が、会津小鉄の八代目を継承しました。
溝口:誰が見たって山口組が会津小鉄を実質傘下に収めているわけだけど、独立組織という建前は守っている。山一抗争(注:1984年、竹中正久組長が四代目を襲名したことに反発した反竹中派が「一和会」を結成。竹中組長は一和会に殺害され、山口組の報復が激化。1989年の一和会解散まで双方で25人の死者を出した)の終結で仲裁してくれた恩義があるし、何より会津小鉄は昔からの名門として通っている。今の山口組は、清水の次郎長で知られる清水一家さえ傘下に持つヤクザブランドのコレクターだけど、吸収はあまりに露骨だという判断じゃないか。
鈴木:山口組には警察の風当たりが強い。会津小鉄を形の上だけでも独立組織としておくのが最適解かもしれません。今の暴力団はほとんど事件を起こさない。でも、これらの事件を見ると、暴力団員の反社会性と暴力性は変わっておらず、上に立つ人間次第なんだなと。
溝口:そういう側面はあるね。かつて自他共に認める武闘派である竹中武(四代目山口組・竹中正久組長の弟で二代目竹中組組長)は「喧嘩に必要ならマシンガンでもヘリコプターでも買ってやる」と言ってたし。喧嘩太郎と言われた中野太郎(五代目山口組若頭補佐)の口癖は「殺してしまえ!」だった。