【多種多様な虫】
三鷹寮は何かと自然を意識しており、寮の敷地内にはたくさんの木が植えられている。自然を感じられるのはいいことなのだが、そのせいで多種多様な虫とご対面することになる。
一番ショッキングだったのは、1年の9月、夏休みの終わりごろ。僕がちょうど全治7か月の骨折をしたときだ。宅配ピザのバイト中にいきなり事故って、そのまま病院へ入院。手術もしてしばらくは病院のお世話になっていたが、その間に学校ももうすでにはじまり学校関係のいろんな所用が発生するので、一度家に帰らなければならなかった。そこで松葉杖状態だったが無理やりタクシーを拾い、そのまま三鷹寮へ帰還した。
松葉杖だと棟の入り口から自分の部屋までの距離がとてつもない長さに感じられた。部屋に着いたときは、たった数10mを歩いただけなのにどっと疲れが出てきた。そのままベッドに転がり込む。
数週間ぶりの自分の部屋だ。病院では、ご高齢のおじいちゃんばかりの、4人くらいでの相部屋生活だった。
そこで聞こえてくるのは咳き込む音やなんかブツブツ言ってるひとり言。
極めつけは、近くで銃撃戦が繰り広げられているんじゃないかと聞きまごうくらいのいびき合戦だった。その悪夢の生活から打って変わって、ここ三鷹寮じゃ物音ひとつ聞こえない。あれだけうんざりしていた静けさがそのときはとてもありがたく感じられた。……三鷹寮も悪くないじゃないか。そう思えた瞬間だった。
だが、そう思えたのはほんの一瞬だった。個室の安心感が恐怖へと変わる出来事が、僕の部屋で起きていた。
ゲジゲジがひっくり返って息絶えていたのだ。
もう勘弁してくれよ。僕は虫が大の苦手なのだ。虫に関しては、生きていようが死んでいようがあまり大差ないくらい嫌いだった。
そして、どうにか一度落ち着こうとトイレに駆け込み、戦略を練ろうとした。しかし、僕に逃げ場はなかった。浴室でゴキブリがひっくり返って死んでいたのだ!
あーもう僕の入院中に一体何が起きたんだよ。なんで殺人現場が出来上がってんだよ。
虫嫌いの人なら吐き戻すくらい同感してくれると思うが、虫を触るのは愚か、箸のようなストロークのあるもので処理するのも、難易度が高いのだ。箸を通してでもその触覚が自身の指先に伝わるのが耐えられない。しかし、もう、どうこういっていられない。頼れる友人もいない。ええい、ままよ、僕は手近な割り箸とレジ袋をつかみ、ゴキブリを処理しようとした。
その瞬間だった。ピクッ。
な、なんと、ゴキブリが動いたのだ!
こいつ、ひっくり返って体力ないだけで生きてやがる! 難易度はさらに跳ね上がった。動かないにしろ、生きているゴキブリを箸で処理するなんて到底考えられない。とにかくまず落ち着け。こいつの息の根を止めることが先決だ。僕は冷静に、部屋に備え置いていたゴキジェットをひっくり返っていたゴキブリにぶっかけた。これでどうだ! しかし、かけても、かけても、こいつの動きが止むことはない。
薬剤の海ができるくらいゴキジェットをぶっかけたが、ゴキブリはその海に溺れないように死力を尽くし、ビシャビシャもがき続けた。
なんなんだよ、こいつ! もうこいつの生命力で論文書けるだろ!
いろいろあって数時間の戦いの末、生きているゴキブリとゲジゲジを処理することができた。経緯はあっさり書いたが、これをすべて松葉杖の状態でやってのけたのだ。
さすがにノーベル平和賞をもらわないと割に合わない。
と、まあこんな感じで、三鷹寮は自然の弊害でまあまあ虫が出ることは覚悟しとかなければならない。あとはハエとクモくらいだが、ここら辺はまあなんとかなる。
ゲジに関しては、退院後もポツポツ出現し、ゴキブリに関してはあの死闘1回きりだった。しかし、別の棟の人の話を聞く限り、英単語ターゲット並みに頻出していたらしいので僕はたまたま運が良かっただけだろう。次の寮では虫が出ませんように。