「女性セブン」が報じた被災者の再生物語
緊急の治療を必要とするクラッシュ・シンドローム。震災当時の現場では病院も混乱状態で、「もう少し早く病院に行けたら命が助かったのではないか」という事例は少なくなかったという。その後、日本救急医学会を中心に救急医療のあり方は問い直され、教訓はその後の震災時の現場で活かされている。
『女性セブン』1995年11月16日号は、クラッシュ・シンドローム発症後に一命は取り留めたものの、体の左半分が動かなくなるという後遺症を負った男性・D氏を取材。パートナーの女性・E子さんとともに懸命にリハビリに励んだ姿に迫った『被災で「クラッシュ・シンドローム」の彼を絶望から生還させた恋人女性の献身』と題する記事を掲載している。当時の記事を振り返ろう(一部抜粋、再構成)。
〈Dさんは、ひとりで暮らしていた西宮市内の木造アパートで被災。瓦礫の下に9時間も閉じ込められた。その間に左半身の筋肉が壊死しかかり、そこからカリウムなどの“毒素”が体に周り、腎機能が低下。手当が遅れると多臓器不全を起こして死にいたる「クラッシュ・シンドローム」にかかってしまった。
今回の震災では、救出されても治療を受けるまでに手間どって命を落とす人が多かった。それでも彼は、救出の翌日に設備が整った大阪大学医学部附属病院に移され、九死に一生を得た。
とはいえ、救出されたときすでに左の手足は完全にまひ。左腕は1ミリも動かず、左足も力なくだらんと垂れたまま。立つこともできなかった。それに、針のムシロに寝かされたような激痛が体中を走った。
「先生に治ると言われてホッとしたんですけど、痛みが消えなくて何も考えられなかったです」(Dさん)
さらに彼は、クラッシュ・シンドロームにつきものの腎不全に陥った。すぐに24時間の人工透析が開始されて最悪の事態は免れたものの、入院から10日目の1月27日には胆のう炎を併発。緊急手術を受けた。
5時間にもおよぶ大手術の結果、苦しかった呼吸はいくぶん楽になったものの、痛みによる不眠は相変わらず続いた。しかも彼がいたのは、昏睡状態の患者が何人もいる集中治療室。ベッドを離れることは愚か、食事も許されず、思うに任せぬことばかり。そんな辛い状況のなか、1日2時間だけ許された恋人・E子さんとの面会が唯一の慰めだった〉