1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災から、今日で30年。兵庫県の淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の地震は、死者6434名、全壊家屋約10万5000棟など当時の地震災害としては戦後最大規模の被害を出し、街の様子を一変させた。
震災で亡くなった方のほとんどは、倒壊した家屋や家具などの下敷きとなった「圧死・窒息死」だったとされる。幸い救助された人のなかにも、「クラッシュ・シンドローム」(挫滅症候群)を発症するケースが多発し、その後も懸命な救命活動が行われた。30年前、クラッシュ・シンドロームの治療にあたった医療現場や当事者の姿を、当時の『週刊ポスト』『女性セブン』は捉えていた。
当時の『週刊ポスト』が報じた「混乱の医療現場」
クラッシュ・シンドロームは、倒壊した家屋や車など重いものに腕や足などが長時間挟まれ、その後、圧迫から解放されたときに起きる症状だ。筋肉が圧迫されると細胞が壊死するが、それに伴って出てくるカリウムやミオグロビンといった物質が、圧迫から解放されることで急激かつ大量に血液中に流れ込むと毒性を持ち、急性腎不全や心不全を起こす。
阪神・淡路大震災では、震災当日からクラッシュ・シンドローム発症者が多く病院に運ばれたという。『週刊ポスト』1995年2月27日発売号の記事(『クラッシュ症候群こそ救急医療の盲点だ(取材・文/菊池憲一氏)』では、こう報じている。
〈兵庫県南部地震が発生した1月17日の午後4時頃、大阪大学附属病院特殊救急部に兵庫県立西宮病院からA子さん(25歳=当時)がヘリコプターで運ばれてきた。
A子さんは倒壊家屋の下敷きになり、2時間後に救出された。だが、下敷きになった両足は動かず、感覚もない。救出されて血のめぐりが戻った途端、今度は、急性腎不全に陥って不整脈があらわれ、いつ心臓が止まってもおかしくないほど危険な「クラッシュ・シンドローム」に陥った。緊急透析が必要となり、ヘリで運ばれてきたのである。
18日の夕方には、やはり「クラッシュ」のB氏(25歳=当時)が西宮市から救急車で運び込まれた。B氏は左の上腕と両足を家屋にはさまれて“挫滅”していた。8時間後に救出されたが急性腎不全で尿が出なくなり、緊急透析が必要となった。到着後、すぐに緊急透析。その10日後、壊死性の胆のう炎を発症したが、緊急手術で辛うじて危機を乗り切った〉
ほかにも、倒壊した家屋から5時間ぶりに救出された被災者が〈尿はコーラのように褐色〉になっていたことや、緊急転院のための救急車が足りなかった状況がつぶさに描かれていた。阪神・淡路大震災では、次々と同様の患者が病院に運び込まれたという。
〈TVでは、倒壊家屋から救出されるシーンが繰り返し放映され、茶の間の拍手を浴びた。しかし、救出された人が、全員救命されたわけではない。やっと救出されたものの、必要な救急医療が受けられず、「クラッシュ」で急性腎不全や心不全などを起こし、命を失うことも多いのだ〉(同前)