その後、捜査は1947年に起きた、似た手口の事件で使用された偽造名刺から画家・平沢貞通の逮捕へと発展。連日の拷問のような取り調べから、平沢は自供を始めた。平沢はその後開かれた公判で無罪を主張したが、1955年4月7日には死刑が確定した。そして1987年5月、95歳になっていた平沢は死刑が執行されないまま獄中で病死してしまう。確定死刑囚として32年間の収監というのは当時の世界最長記録だった。
文豪・松本清張は『小説帝銀事件』や『日本の黒い霧』でこの事件における独自の解釈を綴って話題になったが、関東軍731石井部隊の実験成果を独占するためにGHQが深く関与したという説と平沢貞通冤罪説は、一部のミステリーファンの間ではいまだに根強く支持されている。また、今月刊行された鳴海章著『鬼哭 帝銀事件異説』では、731石井部隊の情報を独占しようとしたGHQを阻止するために、ある機関がかかわったという新しい解釈を展開し話題に。映像作品では、松本清張が前述の作品を完成させるまでの過程をドラマとドキュメンタリーの両面から見せたNHKの「未解決事件」も見応えがある。
2025年、今もウクライナやイスラエルでは新たな戦火が広がり、冤罪事件や未解決事件も後を絶たない。昭和100年に当たる今年こそ、激動の昭和に起こった出来事を振り返り、未来に向けての考えを見直す良い機会なのではないだろうか。