神戸山口組と六代目山口組・國領屋一家との遺恨
神戸山口組は山健組をはじめとする主要組織が離脱し、旗揚げに参画した多くの組長が引退してしまった。発足時からは大幅に勢力を減らしている。
「六代目山口組とのあいだに、ここまで大きな差がついてしまった以上、もはや抗争を継続するのは難しい。事実、神戸山口組からの攻撃はほぼなく、防戦一方になっている。若い衆の未来を考え、手打ちをしたらどうだという申し出をしても、井上組長は聞く耳を持たないそうだ。ならば無理矢理、暴力でねじ伏せるしかない……となり、攻撃が集中しているのだろう」(他団体幹部)
もともと神戸山口組と國領屋一家には遺恨がある。
2016年8月10日、静岡県浜松市の國領屋一家の本部と、國領屋一家の傘下にあった服部会の事務所に、立て続けにトラックが突っ込んだのだ。トラックはいずれも盗難車で、実行犯は神戸山口組系の組員だった。加えて鈴木容疑者の服部会は、トラックが突っ込まれた2年後、住民や弁護士、警察との協議によって事務所を撤去している。
「八代目霊岸島桝屋服部会」の名前にある「桝屋」の一統はテキヤ系組織である。浜松市が編纂した市史には昭和40年頃の市内についてこう言及がある。
〈当時市内に的屋(てきや)祭礼・縁日または繁華街の路上等で客を集め、品物を売る商人。香具師(やし)霊岸島桝屋一家服部組と博徒国領屋が勢力を二分していた〉(『浜松市史・五』)
テキヤは分家を繰り返して増殖するが、「桝屋」系統の中でも、現・服部会は山口組の代紋を持つ実力派として知られていた。ただし今は警察のマークが厳しく、指定暴力団の代紋を持っているとお祭りに露店を出せない。そのためテキヤ系組員の偽装破門はどの組織でも横行している。
2005年あたりから、雑誌の取材で集合写真を撮ることになっても、露店でバイ(編注:商売)を行なう組員らは写真にうつり込まないようになった。いっそ本当に脱退すればいいと思うのだが、それなりのメリットがあるのか、暴力団が金づるを手放さないのかは判然としない。