母がいなくなったら、父は急に老人ぽくなった
メイコさんの父は戦前にユーモア小説で知られた作家の中村正常。戦争で筆を折ると仕事はせず、娘が小学校を卒業した後は自分で娘に勉強を教えた。
父の影響を強く受けたメイコさんも、「人生は喜劇的でありたい」と常々言っていたそうだ。
息長く芸能界で活躍し続けたメイコさんにも、そう言って切り抜けようとする人生の苦しい局面があったのだろうか。
「私の知る限り、たぶんないはず。前世でものすごく徳を積んだんじゃないかと思うぐらい悲劇的なことは経験しなかったと思います。『自殺しようと思って身を投げたら烏帽子岩に着いちゃったのよ』っていう話をよくしてたけど、母が亡くなった後で父が『あいつには一度も言わなかったけど、あれは作り話だと思う』と言ってました」
映画でもドラマでも、コメディエンヌの役割をつとめていたメイコさんは、実生活でもシリアスな場面は苦手だったようだ。
神津さんが女性にモテるために夫婦喧嘩になり、メイコさんが「いいわ! 私は向島に芸者揚げに行くから」と遊びに行ったことがある。
挙げ句に神津さんに支払いが回ってきて、「なんだこれは!」「自分で払います!」。どんなに喧嘩になっても、リアルな4コマ漫画のように最後はきれいにオチがついた。
「4コマ目でオチがつけばいい、喜劇的ならいい、って信じて60年生きてきましたけど、悲しいときは悲しいと言っていいんだ、とこの本を書いているときに気がつきました。そう考えると、死んでも母親には仕事があるんですね。母と娘ってこういうことなんだと思います」
姉のカンナさんは作家になり、年の離れた弟の善之介さんは画家の道を選んだ。本当は歌を歌いたかったというはづきさんだが、「あなたが(母の)暖簾を継ぎなさい」と父に指名され、役者になった。
メイコさんが亡くなった後で、父の神津さんにもメイコさんとの思い出をインタビューしたそうだ。
「母が亡くなるまで甲斐甲斐しく世話をして、私たち娘は『番頭さん』と呼んでたぐらいなのに、母がいなくなったら急に老人ぽくなっちゃって。なるべく一緒にいてあげたいけど、耳は遠いし、話すこともないから、『ちょっと昔の話聞いてもいい?』ってiPhoneで録音するようになったんです。
父は、仏壇のかわりに食器棚の一角を母のコーナーにして、その前で母に話しかけてるんですけど、よくよく聞いたら、あたしたちの悪口言ってんの! 『ほんとに冷たい娘たちなんだよ~』って(笑い)」
元モダンガールで劇団を主宰していた母方の祖母や、母のたった1人の大親友だった美空ひばりさんの忘れがたい思い出も出てくる。
取材・構成/佐久間文子
※女性セブン2025年2月6日号