初場所に進退を懸けて臨んだ横綱・照ノ富士は4日目で2敗を喫し、翌日に引退を表明。照ノ富士引退後の角界を担っていくべき大関の琴櫻、大の里、そして初場所で優勝して横綱昇進を決めた豊昇龍に、相撲協会トップの八角理事長(元横綱・北勝海)は何を思うのか──。
照ノ富士の引退を受け、メディアは一斉に「横綱が『空位』となれば32年ぶり」と報じた。
前回の「空位」は、まさに八角理事長自身が1992年5月場所で現役を引退したことで生じた。翌年1月場所後に曙が昇進するまで、4場所にわたり横綱不在が続いた。
本誌・週刊ポスト記者が当時の思いを八角理事長に尋ねると、間髪を入れず「申し訳なかったですよ」と応じた。
「ボロボロになって、“弱い横綱”と言われようとも、最後までやらなければならないと思っていた。どんなことをしても引退しちゃダメだと。誰かが(横綱に)上がってきてから辞めようと思っていたが、体も気持ちももたなかった。辞める前の春巡業では(当時大関の)小錦関から“辞めないでよ”と言われた。グッときたし、“頑張るよ”とは言った。でも、頑張ったけどダメだった」
膝の故障など満身創痍の照ノ富士が置かれた状況とも重なる。その引退までに大関陣が横綱昇進を果たせなかったことには、「もっと早く(横綱に)上がっていないとダメだよ」と喝を入れた。
「横綱は休場が多かったわけだし、チャンスはいくらでもあった。これまでは横綱が弱くなってくると次の横綱が上がってきたが、それがうまくいっていないよね」
取材は初場所9日目というタイミングだったが、「3人の大関に頑張ってもらうしかない」と叱咤激励の言葉を続けた。
昨年11月の九州場所では悲願の初優勝を果たし、綱取りが期待された大関・琴櫻は2日目から5連敗。早々に昇進は絶望的となった。
「琴櫻については隣にいる師匠に聞いてよ」
そう水を向けられた佐渡ヶ嶽親方(元関脇・琴ノ若)は「見えないプレッシャーでしょうね。本人とも話したんですが、“土俵に上がった時、組んだらこうしないといけないとか思うのに、体が動かないんです”と言っていた」と説明。