たとえば、現在四十歳以上の日本人ならわかるだろう、二十年くらい前を思い出して欲しい。いまはあたり前のように語られる「憲法改正」という言葉を使うと、「改正では無い。改悪だ」「そんなことを考える奴は右翼(=悪人)だ」などと、さんざん罵倒された。しかし、これも客観的事実だけを考えるならば、日本の周辺には侵略を当然とする国家が複数存在する。
ウクライナのようにならないためには、軍事同盟と自前の軍事力が絶対に必要である。しかしながら、現行憲法は「軍隊の保持」も「交戦権」も否定しているのだから国民を守れない。だから改正するのは当然だ、ということになるはずである。しかし、なぜそれを言うと罵詈雑言を浴びせられたのか? それは、日本人の心のなかに「現行憲法は、第二次世界大戦における三百万人もの犠牲者の尊い死によって成立したものである。だから絶対に変えてはならない」という信仰があるからだ。
この信仰は古代から存在するものであり、それが戦前においては「十万の英霊の死を絶対に無駄にしてはならない」だったのだ。それを具体的に実行するためには、隙あらばユーラシア大陸に進出し日本の領土を広げることである。だから日本はシベリア出兵を実行したし、最終的には満洲国を建国した。当然、ロシアや中国は抵抗するから、彼らと戦うことになる。戦争、それは昭和二十年以前は正義なのである。
おわかりだろう、「シベリア出兵に対する無言の批判」などあり得ないのである。前にも述べたように、戦前にも日中和平を唱える人はいたが、それが中国との妥協を示すことになると「十万の英霊の死を無駄にする極悪人」にされてしまう。ちょうど二十年ぐらい前に「憲法改正」を声高に叫ぶと「極悪人」にされてしまったように、だ。
もし日本の一般民衆の間に「天皇支配に対する反感」あるいは「戦争遂行に対する拒否感」があったとすれば(おそらく松尾京大名誉教授はそう思いたかったのだろうが)、この先日本の大陸侵略政策にそれほど積極的では無かった原敬首相および犬養毅首相がともに暗殺される一方、陸軍が主導した満洲国建国が一般民衆に大喝采を浴びたことと矛盾するではないか。犬養首相は現役の軍人に射殺された。世界中のあらゆる軍法では犯人は死刑になるはずだが、前にも述べたように膨大な助命嘆願書が一般民衆から寄せられ、犯人は死刑を免れた。それどころか、恩赦により数年で釈放された。それが戦前の日本の実相だ。
「完全な政党内閣」の誕生
この事態を軽蔑するか、それとも誇りに思うか、それはご本人の自由だが、事実は事実として客観的に見なければならない。あたり前の話だが、日本の左翼歴史学者はこういうときに自分のイデオロギーや思い込みを挟み込み、事実を捻じ曲げる。読者の方々は用心されたい。ちなみに左翼学者がなぜそうなってしまったのかは、すでに『逆説の日本史 第二十六巻 明治激闘編』に詳しく述べておいたのでそちらを参照していただきたいが、では左翼とまでは言えない普通の歴史学者なら信用できるのか?
残念ながら、そうでは無いということを読者の方々はご存じだろう。そもそも、歴史の記述を彼らに全面的に任せてよいなら、私ごときが三十年以上もかけてこの『逆説の日本史』を書く必要は無かったのである。それだけの年数をかけても、彼らの史料絶対主義や極端に狭い視野は解消されず、私の(歴史学者では無い)歴史家として歴史の全体像から分析していくという手法も、決して認めようとしない。
私の方法論を全面的に採用せよと言っているのでは無い。そういうやり方もあると認めよということなのだが、彼らは自分たちだけが歴史の専門家であるという傲慢な思い込みがあって、態度を改めようともしない。私もとうとう堪忍袋の緒を切って、『逆説の日本史』の世界に入りたいがあまりにも膨大過ぎて入り口がわからないという読者のために、『真・日本の歴史』(幻冬舎刊)という本を書いた。
これは『逆説の日本史』の入門書であると同時に、歴史学界へのケンカ状でもある。ところが、その本になんとバリバリの歴史学者である本郷和人東京大学史料編纂所教授と磯田道史国際日本文化研究センター教授から、ご推薦をいただくことができた。すでに読売、産経、日経などの各紙の書籍広告のなかで発表されているが、本郷教授からは「真の歴史家の仕事を堪能せよ」、そして磯田教授からは「なぜ日本と世界はこうなっているのか? 本書はそれに答える好著です」とお褒めの言葉をいただいている。
これがどんなに大変なことか、おわかりだろうか。お二人とも歴史学界に身を置く現役の歴史学者である。歴史学界を批判した本を推薦することは、大変な勇気を必要とする。それでもお二人は推薦してくれた。ここで、お二人には伏して感謝の意を述べたい。正直涙が出るほど嬉しかった。三十年やっていれば、よいこともあるなと思った。せっかくの機会だから、みなさんの周りにも私の本の悪口を言いまくっている歴史学者あるいは歴史学者シンパがいるかもしれないが、そうでは無いよと諭して(笑)いただければ幸いである。