2018年、オフィス北野(現・株式会社TAP)を退所し、個人事務所「T.Nゴン」に移籍したビートたけし(78歳)。この“殿の独立騒動”で、「たけし軍団」はオフィス北野に残留か、事務所を出るか決断に迫られた。独立の道を選んだのが、お笑いコンビ・浅草キッドの玉袋筋太郎(57歳)だ。
師匠・ビートたけしという偉大な存在に憧れて事務所に入った玉袋にとって、50代でフリーランス芸人に転向することは苦渋の決断だったという。当時、玉袋はどのような胸中だったのか――。
50代を迎えた途端、人間関係や仕事、夫婦関係などが変わり、「人生って難しいな」と感じる機会が増えた玉袋が、「美しく枯れる」生き方をテーマに、右往左往しながらも前に進もうと懸命にもがく心境を綴った『美しく枯れる。』(KADOKAWA)。同書より、玉袋がたけしに事務所の退所を報告した際のエピソードをお届けする。(同書より一部抜粋して再構成)【全4回の第1回】
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あらためて振り返ると、2018年からの数年間は激変の連続だった。
その前年にオレは50歳になって、「さあ、これからバリバリ働くぞ!」と思っていた矢先に、殿が新しい事務所を立ち上げるために、オフィス北野から出ていった。
一連の独立騒動では当時の森昌行社長がやり玉に挙げられることになったわけだけど、オレ自身は、森さんには恩もあったからとても複雑な心境だったんだ。
「殿がいない事務所に残るつもりはない」と、オレはこのとき考えたし、「浅草キッドとして自力で活動したい」という思いが強かった。
だけど、相棒の博士とは意見の相違によって、結局は浅草キッドを続けていくことはできなかった。もちろん、今後の自分についてはいろいろ考えたよ。
考えに考え抜いた結果、「もういちど一からやり直してみようか」と決めた。きちんと芸人として生きていくこと。恥ずかしくない仕事をすることこそ、殿への恩返しだと思ったから。
もちろん、まずは殿に報告しなければならない。
殿のマネージャーに確認すると、世田谷にある砧スタジオでの収録前なら時間があるという。「直接、お会いして自分の素直な気持ちを伝え、そしてこれまでのお礼をしなければ」。そんな思いとともに、砧スタジオに向かった。おそらく2018年の秋口くらいの出来事だったと思う。
事前に、頭のなかでは何度も何度もシミュレーションした。事務所に残留するように説得されるのだろうか? それとも、オレの決断を認めてくれるのだろうか? もちろん、怒られたり、無視されたりするかもしれないとも考えた。
せっかくいただいた、「浅草キッド」という看板を下ろしてしまうことも心苦しかった。相棒は残るのに、オレだけ出ていってしまうことを殿はどう思うだろうか?
だけど、師匠がいない会社に自分が残ることは、どうしても道理に合わないと考えていた。それこそ、博士のいう「義がない」と考えたんだよ。そうかといって、殿がつくった新事務所に行くわけにもいかないし、そもそも入れてもらえるはずもない。
オレは、事務所を辞めて独立するしかない。
その決意は固かったけれど、はたしてどうやって、この思いを説明すればいいのか?
殿はどんなリアクションを取るのだろうか?
オレはおそるおそる、殿の楽屋を訪れた。