監督として大切にした「ミスしたらまた大事な場面で使う」という信念
1985年、吉田監督が率いる阪神は日本一になったが、川上巨人を参考にしたのかと聞くとこんな答えが返ってきた。
「その前に3年間(1975~1977年)監督をしました。ボクは失敗したとは思っていないが、クビになりました(苦笑)。その経験が生きたのと、解説者をしていたので阪神は力を出し切れば優勝争いができると思っていた。監督に就任したら、選手には“一丸になれ”“力を出し切れ”と言い続けた。ボクは現役時代に失敗して覚えたから、打たれたりミスしたらまた大事な場面で使った。それが成功した」
そして「だから川上巨人を手本にしたとは思っていない」と断言するのだった。
吉田さんは「あんな監督になりたいと思ったのが2人います」と言って、こんな話も聞かせてくれた。
「ひとりは川上さんですね。川上さんは0対0の同点、しかも9回裏二死満塁フルカウントの場面で、バッターに“待て”のサインを送った。今の監督でこのサインを出せる人はいないでしょう。高めのボールを振る習性がある選手でしたが、高目に外れたボールを見送って勝っている。これを巨人の選手から聞いた時は“川上巨人には勝てないはずだ”と思いましたね。
もう一人は落合(博満)。日本シリーズで8回までパーフェクトピッチングをしていた山井(大介)を降板させ、岩瀬(仁紀)をマウンドに送った。そんなこと山井の性格を把握できていない限りできない。川上さんに似ていると思った」
柔らかい関西弁で本音をズバスバ言える野球人・吉田義男。阪神タイガースを愛し、巨人とともに球界を盛り上げたいというのがインタビューでは伝わってきた。心よりご冥福をお祈りいたします。
■取材・文/鵜飼克郎(ジャーナリスト)