本誌インタビューでも叔父・朝青龍への本音を語っていた
横綱昇進を果たした豊昇龍だが、これまでは常に「朝青龍の甥」と見られてきた。圧倒的な強さを誇る横綱でありながら“問題児”として角界を去った叔父の存在を乗り越えたからこそ、今の豊昇龍があるはずだ。
どんなことがあっても力強く立ち向かう──豊昇龍は伝達式の口上で使った「気魄一閃」という言葉に、そんな意味を込めたとしている。初土俵から42場所での横綱昇進は年6場所制のもとで史上6番目の早さだが、道のりは平坦ではなかった。
「豊昇龍の父は5人兄妹の長男で、四男が朝青龍です。豊昇龍は11歳でレスリングを始めてモンゴルの県大会でも優勝。朝青龍の紹介で日体大柏高にレスリング留学した。その後、国技館での相撲観戦をきっかけに相撲部に転部。高3ではインターハイ個人準優勝する実力になった」(担当記者)
高校卒業後の2017年に立浪部屋に入門した経緯を立浪親方(元小結・旭豊)はこう明かす。
「朝青龍とは親交があったので、甥が相撲留学していることは聞いていた。それで地方大会を見に行った時に声を掛けたんです。朝青龍が背中を押してくれたこともあったが、潜在能力は抜群だった。入門前から朝青龍が“こいつは大関、横綱になれるから”と言っていたが、そのDNAは間違いなかったですね」
複雑なのは幕内優勝25回を誇る叔父の朝青龍が、トラブルで廃業していることだ。2010年初場所で優勝しながら、場所中に飲酒暴行事件を起こしていたことが発覚。引退を余儀なくされた。土俵でのガッツポーズなどで「横綱の品格」も問われた。
そうした言動まで叔父に似るのではないかという懸念がついて回った。
ただ、立浪親方にその懸念をぶつけた際は「勝気な性格は叔父譲りかもしれないが、あくまでも土俵上でのこと。素直でいい子ですよ。暴力とかは全くないからね」と応じていた。立浪部屋に、兄弟子たちが後輩の言動に目を光らせる土壌があったことも大きいだろう。