政治家というのは「攻撃すると、はね返ってくる」
2002年6月、あっせん収賄の容疑で逮捕され権力の座から滑り落ちた鈴木氏は無罪を主張したが、有罪が確定。議員失職し、1年間服役した。また、約25年前の当時にSNSはなかった。これらの点は兵庫県知事選の当事者たちとは異なるが、共通点もある。鈴木氏の政治的攻撃が大衆の反撃としてはね返ってきたこと
鈴木氏によると、バッシングは、疑惑が持ち上がる半年前、小泉内閣発足の立役者で当時人気絶頂だった外務大臣の田中真紀子氏に対して国会で質問を始めた時から始まっていたという。
「田中批判の尖兵だった私の事務所には連日、“田中真紀子さんに質問するとは何様か”“北海道の田舎者が”などと書いたファックスが届いていました。しかも、何かのシンジケートでもあるのか、同じ文章で何枚も何枚もくる。2002年になって小泉首相が田中氏を更迭すると、それについても人事を決めた小泉じゃなしに、“鈴木宗男がけしからん”という批判になった。これには参りました。
政治家というのは攻撃すると、かえってくるんですよ。SNSはないけれど同じなんです。それは認識しておかないといけない」
そして前述のようにホテルに身を寄せることにもなったが、支えたのは妻だけではなかったようだ。
「妻が一緒でない時は息子がいてくれました。当時、高校1年でカナダに留学していた娘の貴子(現・衆議院議員)が毎日、『お父さん、権力と戦え!』『お父さんほど働いた人はいないんだから、自分の過去を否定するな』とペン書きしたメッセージをファックスで送ってくれました。
実は当時、私は私で、娘が心配でした。情報がない海外にいて、父親が窮地に追い込まれている。自暴自棄になったらどうしようと案じていたのに娘から激励されて、それが私の気力の源になった」