初登院してバッジを付けてもらう初当選の高市早苗氏。1993年8月5日(時事通信フォト)
アイデンティティを引き剥がさなくてもいい
「選択的夫婦別姓」は何も働く女性たちのためだけではない。そもそも男性でも女性でも「苗字」がアイデンティティである人は少なくなく、それを手放したくない気持ちは自然かつ当然のものだ。反対派は苗字にこだわっておいでだから、本当はその気持ちもわかるはず。結婚でどちらか片方から(9割は女性だけれど)そのアイデンティティを引き剥がさなくてもいいのではないか。もちろん変えたい人はどうぞご自由に。選択制なのだから。
結婚するのに苗字を変えたくないなんてわがままというXでの書き込みを見たが、どうしてそれがわがままになるか、まったく理屈が通らない。他人の家族の苗字を強制する方がよほど横暴である。
どこかのタレントさんがテレビ番組で「日本古来の制度」といったそうだけれど、そもそも夫婦同姓制度が始まったのは明治31年(1898年)。わずか130年の歴史しかない。一般市民が「氏」を持ち始めたのは明治8年。武家の習わしから夫婦別姓がスタートし、明治31年夫婦同姓に制度変更となった。調べてから発言してほしい。
国際結婚の場合は同じ日本人でも基本的に夫婦別姓。選択すれば夫婦同姓となる。そのことで何か「混乱」が起きているだろうか。少なくとも私は聞いたことがない。
反対派は「子供がかわいそう」というけれど、国際結婚、離婚、再婚、事実婚と結婚の形もさまざまになった今、苗字だけで「かわいそう」などと決めつけるのは失礼だ。子供が本当にかわいそうなのは親の愛情が与えられないこと。選択的夫婦別姓が子供にとっては「強制的」だというのはもう屁理屈としかいいようがない。子供は苗字だけではなく、自分の名前も「強制的」につけられるわけで、それはいいの?
高市早苗さんは「通称使用の範囲を広げる」ともいっているけれど、それなら別姓でいいではないか。働く女性たちの貴重な時間や労力をこれ以上奪わないで、といいたい。
書類の上だけ同姓にしてそこになんの意味があるのだろうか。2025年の今「家制度」「家父長制」の亡霊は邪魔なだけだ。