徳永英明の息子「レイニ」が歌手としてメジャーデビューしていた
井上陽水の『氷の世界』に憧れた少年は、やがて独特の歌声で感傷的なメロディーを奏でる有名歌手となった。そんな彼の才能を色濃く受け継ぎ、デビューを果たした息子。父の代表曲から名を授かった彼が音楽を志したのもまた、運命だった──。
《ハスキーだと言われても自分ではよくわからないんです。でも、聴いていて心地よいとか気持ちいいと言ってもらえるのは、一番嬉しいですし自信になります》
Webメディアのインタビューでこう語ったのは、現在放送中のドラマ『相続探偵』(日本テレビ系)の主題歌『ラストレター』を歌う歌手・レイニ(26才)。2019年頃からモデルや俳優として活動を始め、木村拓哉(52才)と綾瀬はるか(39才)の共演で話題になった映画『レジェンド&バタフライ』や、ドラマ『相棒 season23』(テレビ朝日系)にも出演した経験を持つ。端整な顔立ちや演技だけでなく、SNSで披露する透明感のある歌唱力でも注目を集めている。
「ひっそりと、でも確実にキャリアを築いてきた印象です。本当ならもっと早く注目を集めてもいい“出自”なんですがね。実は、レイニさんは歌手の徳永英明さん(63才、「徳」と「英」は旧字体が正式表記)の次男なんです。鼻筋や目元に徳永さんの面影を感じますし、少しハスキーな歌声は、紛れもなく徳永さんから受け継いだものでしょう。
これまで、“親の七光り”と見られることを避けるため、あえて公表はしていませんが、昔からの徳永さんのファンの間では徐々に噂になり始めています。なんと言っても、名前がレイニですから。この特別な名は本名で、漢字で表記するようです。あの名曲『レイニー ブルー』を自然と想起させますよね」(徳永のファン)
レイニの父である徳永は福岡県出身で、中学・高校は関西で過ごした。
「高校を卒業すると、歌手を目指して上京。デモテープを持ってレコード会社を訪ね歩いたものの相手にしてもらえず、アルバイト生活の日々が続いたそうです。しかし、24才のときに『レイニー ブルー』でデビューを果たすと、その甘くハスキーな歌声が女性たちのハートをつかみ、大ヒット。その後も『壊れかけのRadio』などのヒット曲を連発しました。端正なルックスから、ドラマで主演に抜擢されたこともあります」(音楽関係者)
私生活では1994年に雑誌『CanCam』の専属モデルだった女性と、5年間の交際を経てゴールイン。
「結婚のきっかけは1993年1月、喉にできたポリープの除去手術を受けたことでした。歌手生命にもかかわることで、ひどく落ち込んでいた徳永さんを、彼女が明るく励ましながら看病したそうです。その後、急性扁桃炎と咽頭炎を併発して半年間の入院生活を余儀なくされたときも、彼女の献身的な支えによって乗り越えました」(レコード会社関係者)
1995年に第1子となる長男が誕生。続いて1998年に生まれたのがレイニだった。
「レイニさんが生まれた頃、徳永さんは自分の歌手活動について悩んでいました。バラードの枠にとらわれるのではなく、これまでと違う曲作りに挑みましたが思ったような成果が出なかった。ファンが離れ、一時期は自分の居場所を失ったような気持ちにもなった。
歌手として自分の立ち位置を模索した徳永さんは、単身でフランス、アメリカなどを旅し、スペインのバルセロナでは語学学校に通った。その旅を通して、“バラードシンガーとしての自分”を再確認したそうです。ちょうどその時期に生まれた息子に『レイニ』という名を授けたのは、自分の夢をかなえた“原点”に立ち返るという意味が込められていたのかもしれません」(前出・レコード会社関係者)
しかし、その後も徳永の歌手生活は苦難の連続だった。2001年、40才のときに「もやもや病」を発症。デビュー15周年の全国ツアーも休止を余儀なくされた。
「もやもや病は脳に血液を送る動脈の内部が細くなり、血行が低下する難病です。徳永さんも最悪の場合、細い血管が破れて脳出血を引き起こし、死に至る危険もありました。脳の血管撮影をしたときにもやもやした血管網が写るのが病名の由来で、根本的な治療法はないといわれています」(医療関係者)
病と向き合い休養に努めた徳永は2002年11月に復帰を果たし、2006年にはNHK紅白歌合戦に初出場。『壊れかけのRadio』を熱唱し、改めてその歌唱力を知らしめた。