YouTube『maruchanchannel』より
世論を読み解くのが難しい時代だ。コラムニストの石原壮一郎氏が考察した。
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いつもお疲れさまというか、精が出ますねというか……。ネット上で何度も見たことがある光景が、またまた繰り広げられています。
今回、標的にされているのは、東洋水産が2月6日に公開した〈赤いきつね 緑のたぬきウェブCM 「ひとりのよると赤緑」 おうちドラマ編〉。若い女性が部屋でテレビを見ながら、赤いきつねを食べるという内容です。その様子がじつに美味しそうで、夜中に見るとカップ麺にお湯を注がずにいられません。
あたたかい目線で日常の一コマを描いたこのCMが、一部の方々に「性的でケシカラン」という批判を浴びてしまいました。うどんを食べている描写に問題視するほどのエロを感じるのは、かなりの力技です。さすがに今回は、「性的だ」という批判の声をけ散らす勢いで、「どこが性的なんだ」「ぜんぜん問題ないだろ」と反論する声が大量に上がりました。東洋水産も、今のところ沈黙を貫いています。じつにアッパレで賢明な対応です。
あのCMを目を吊り上げて批判する人たち
もちろん、CMをどう感じるかや描写の好き嫌いは個人の自由です。しかし、SNSで「このCMがいかに不快か」「いかに問題か」を熱く語っている人を見ると、この人たちは何のために、何を求めて目を吊り上げているのだろうと不思議でなりません。大きなお世話ですが「気の毒だなあ」と感じてしまいます。
当人たちにしてみれば、鼻高々な気持ちこそあれ、気の毒にという視線を向けられるなんて思いもよらないことでしょう。なぜ気の毒と感じるのか、理由を考えてみました。
●その1「気に食わない対象を攻撃するためにもっともらしい理屈を付けてしまう」
ジェンダーがらみの不平等を糾弾することが「絶対的正義」になっている昨今、気に食わない対象をその手の理屈で攻撃すれば、たちまち「正しい側」になれます。しかし、それを繰り返していたら、ステレオタイプなレッテル貼りの気持ちよさが癖になって、「本当に批判する必要があるのか」と立ち止まって考えたり、「自分の言っていることはどこかヘンじゃないのか」と謙虚に己を省みることが苦手になるでしょう。気の毒なことです。
●その2「たまたま話題になっている標的を何も考えずに攻撃してしまう」
このCMは、そもそもウェブ上でしか流れていません。話題にならなければ、熱心に非難している人の99%は、目にする機会はなかったでしょう。しかし、誰かが「これは問題だ!(=攻撃する理屈を見つけやすそうだ)」と取り上げたおかげで、尻馬に乗って騒ぐことができました。世にあふれるコンテンツの中で、あえてこれを非難する意味や必然性なんて考える必要はありません。無自覚のまま踊らされていて、じつに気の毒です。
YouTube『maruchanchannel』より
●その3「殴り返してこない相手を選んで吠える気持ちよさに溺れてしまう」
大企業に向かってSNSでどれだけ吠えまくっても、反撃される心配はありません。ノーリスクで「言ってやった」という満足感や達成感だけを味わえます。その快感が癖になって、たとえば我が子の担任や学校に理不尽なクレームを付けるモンスターな親になったり、飲食店やスーパーで店員を怒鳴り散らしているモンスターな客になったりしてしまわないでしょうか。歪んだ気持ちよさに溺れて、もしそうなってしまったらとても気の毒です。