新婚時代は亭主関白だった
亭主関白だった新婚時代
長年、支えてきてくれた家内には感謝しかありませんね。しかしながら、私は九州男児。しかも、最初の赴任地が鹿児島。当時は仕事さえしていればいいという男天国でした。その鹿児島で新婚生活をスタートさせましたから、まさに亭主関白を気取っておりました。今となっては、大変申し訳なく思っておりますが……。
結婚して男の子2人がすぐにできまして、その子らが2歳のときのこと。家族4人でレストランへ食事に行きました。家内が自分の食事もろくにとれないまま子どもに一生懸命ご飯を食べさせていたのに、私はご機嫌で自分だけパッと頼んで食べ終え、家内に何と言ったかというと、「早くしてね」だったと。「これには傷ついた」と後々、家内に言われてしまいました。
鹿児島から福岡へ異動した頃、“家族サービス”という言葉が聞かれるようになりました。家内も「うちもしてほしいな」とボソッと言ったものですから、「わかった」と言って休日に家族を車に乗せて連れて行ったのが、家から5分ほどの所の公園。夏に連れて行ったのは小倉競馬場。当時の小倉競馬場は日差しを遮るものもないような場所だったのに、私は家族をほっぽって趣味の競馬に1人で熱中しておりました。「あれはひどかった」と、これまた後に言われてしまいました。