ダンベルのトレーニングは欠かさないという
長く活躍できた秘訣は両親の教えと丈夫な身体
私がさまざまなジャンルでテレビに出続けていられたのは、両親の教えのおかげがあったからだと思います。長崎県の島原で育ったのですが、私の12歳上の兄が東京大学、10歳上の兄も東京大学、私も東京大学ですから、島原では大変珍しかった。ですから、長崎大学の数学の教授だった父に、「鼻にかけていばったりするな。控えめにしていろ」と言われ、それを守ろうと努めてきました。実際、東京大学は秀才ぞろいと思っていらっしゃる方が多いかもしれませんが、それは医学部など限られた人たち。私が卒業した文学部社会学科には、それほどすごい人はいなかったと思うので威張りようもありません。
去年12月に出版しました「『伝える』極意」(SB新書)にも書いたのですが、中学の音楽教師だった母親からは、私が社会人になってすぐの頃、「決してケンカをしないように」と言われました。子ども同士ならすぐに仲直りできるけれど、大人同士がケンカをしたら100%元に戻るのは難しいから、と。ですから、ケンカにならないよう、本人のいないところで悪意から悪口を言ったりしないよう、心がけてきました。組織の一員のときもそうですが、フリーになってからも番組を長く続けるには、スタッフとも共演者ともケンカをしない。これが良かったと思いますね。