病院内の体制は閉鎖的で、元院長らによる”独裁状態”であったとも言われている(時事通信フォト)
「捜査関係者によれば石山容疑者らは事件後、殺人の発覚を免れるためか、男を閉鎖病棟に移す手配をしたといいます。また捜査前に現場となった病室にあった凶器などが片付けられていたこともわかっており、両容疑者から病院側になんらかの指示があったのではないかともみている」
石山容疑者らはなぜ、患者の殺人をかくまったのか──。隠ぺいが表沙汰になるにつれ、さらなる事実がわかる。
「死亡した高橋さんの虚偽の診断書は、当時認知症で入院していた80代の医師(のちに死亡)の名前で発行されており、同様の名義で発行されたものが100枚以上も押収されている。署名の特徴が異なるものもあり、警察は別の病院関係者が診断書を書いた可能性も視野に入れて捜査しています」
元スタッフが告白、元院長の“王様エピソード”
みちのく記念病院と母体である医療法人杏林会は1990年、石山兄弟の父親によって開設された。1994年に石山隆容疑者が理事長に就くとその事業を年々拡大し、現在は県内外につ病院を構え、さらに東日本を中心に20以上の老人施設を運営する大規模な法人となっている。
「みちのく記念病院は『ほかの病院で看てくれないような人も、最後まで看てくれる病院』という評判があります。精神科医療に強く、県内外から広く入院患者を受け入れていると聞きました」(地元住民)
法人登記簿によれば、昨年度の資産総額は約224億円。 事業の規模だけでなく、トップだった元院長・石山隆容疑者の権力も絶大なものだったようだ。病院の元スタッフのAさんが口を開く。