嫌な話だが、虐殺を行なうときは死体の後始末をどうするか考えておかねばならない。中国が「南京大虐殺」で主張するような「片っ端から住民を殺すようなやり方」では死体の耐え難い腐臭がいつまでたってもとれず、その都市は使い物にならなくなる。
だからこそ清国人を虐殺したロシア軍は死体をすべてアムール川に投棄したし、のちにポーランド軍将校を虐殺したソビエト軍はポーランド軍将校に自分の墓穴を掘らせたうえで射殺した。ナチス・ドイツは、ユダヤ人大虐殺を実施するにあたって収容所に大規模な焼却炉を用意していた。それゆえ、トリャピーツィンが尼港の市街を焼き払ったのも戦略目的と言うよりは虐殺死体を始末するためではなかったか、と考えられるのである。
ところで、「不法攻撃した」とされるのは第十四師団所属の水戸歩兵第二連隊第三大隊(指揮官石川正雅少佐)である。兵員は約三百二十人いたが、戦闘と国際法違反による処刑で全員が殺害された。その歩兵第二連隊の兵舎があった茨城県水戸市に兵士と犠牲になった民間人の慰霊碑が建てられ、いまも残されている、その「尼港殉難者記念碑」の説明板には、日本軍が「不法反撃」した経緯について、次のように記されている。
〈両軍は交戦状態に入ったが、二十八日秩序維持協定が成立し、市内に入ったパ軍は、協定を無視して不法暴虐の限りを尽くし、武装解除を要求してきた〉
「パ軍」とはパルチザン軍の略で赤軍のことだが、要するに先に「不法攻撃」をしたのは赤軍のほうだったというのだ。
(第1447回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『真・日本の歴史』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2025年3月14日号