究極の“生きていく力”は愛嬌にあり
岸田家では、岸田さんが作家の仕事によって家族を支えてきた。作家として注目される存在であったとしても、原稿料で家族を養うことにプレッシャーはなかったのだろうか。
「全然ないですね。だって、岸田家でお金を稼ぐ能力というのは、一番位が低い能力なんです。もし私がお金を稼げなくなったら、まず何が起きるかと言えば、母が地域の人に助けてもらえるんですよ。
うちの母は、愛される能力や人を褒める能力、好かれる能力がとても高いです。母は誰にでも優しくて明るくて褒め上手で、ヘルパーさんや学校の先生もお母さんのことを好きでいてくれました。だから、岸田家にどんな問題があっても助けてくれたという過去があるんですよ。
その母が入院していなくなると、私だけでは頼る人が見つけられなくなったり、ヘルパーさんが結構きついこと言ってきたりして、辛かったです。だから、おかんがいれば多分、うちには野菜を持ってきてくれる人がいる気がします」
知らない人にも元気に挨拶する良太さんも、ひろ実さんとはまた違った角度の愛され力を持っているという。
『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』にも書いたのですが、弟がお金を持たずに出て行ったのに、コーラを持って帰ってきたことがあったんです。私と母は『どうしよう。万引きだ!』と思ったのですが、弟がもらってきたレシートの裏にコンビニ店長のメッセージが書いてあったんです。『お代は、今度来られる時で大丈夫です』って。
慌てて、コンビニまで謝りに行ったら、『息子さんは喉が乾いて困って、このコンビニを頼ってくれたんですよね?その気持ちが嬉しかったです!』と言ってくださって……。
コンビニに行ってツケで買い物したやつとしては、弟が日本初なのではないでしょうか」
資本主義の世の中では、数やスピードなどが重視されがちだが、それだけが価値を生み出すものではない。
「母や弟にとって、自身の弱さはコンプレックスかもしれません。でも、周りの人に『助けてあげたい』と思わせる愛嬌があると思うんです。その愛され力ってすごいと思うんです。
だって、コロナ禍で私たちが痛感したのは、お金があってもそこに働きに来ている人がいないと物が買えない状況でしたから。
すべてを失っても生きていける力って、人に愛される力や応援してもらえる力を持っているかどうかだと思うんです。そういう人は、毎日の挨拶や感謝の気持ちでコツコツ築いていく信頼関係をお金に換えているだけではないでしょうか。
愛嬌が“生きていく力”だと考えれば、多分、家族のなかでは私が一番生きていく能力が低いだろうなって思いますね(笑い)」
岸田哲学は自分への壮大な言い訳
岸田さんのエッセイには、日常の悲喜こもごもを面白く切り取ったエピソードとともに、真実を見つめる眼から紡ぎ出された言葉がある。
「正論だけでは救われない理不尽さへの疑問や生きづらさを感じて生きてきました。人前で喋っても分かってもらえないその感情を自己肯定するためには、複雑さを内包した言葉がないと諦めがつかなかったんです。
例えば、道を歩いていると点字ブロックがあるじゃないですか。
点字ブロックって目が見えない人にとってはとても大事な命綱です。だから、社会的には点字ブロックがあるのは、良いことです。でも、車いすのお母さんは点字ブロックにつまずくから、とても危ない。社会的には正義であっても、それによって苦しむ人が出てくることまで配慮されていない現実があるんです。
みんな優しいので、私のエッセイを読んで笑ってくれたり、『救われました』と言ってくれたりします。でも、私の本を読んで『その通りにやりました』と言ってくれた人に会ったことはありません。
多分、私にしか許されない道の開き方をしちゃってるんです。『田舎では岸田さんみたいに家族と離れて過ごすことができないんですよ』とコメントをいただくこともあります。
だから、私の哲学は私のためだけに存在する『マイ宗教』みたいな感じですよね。それがないともうダメなんです。まぁ言えば、壮大な言い訳です」
人を癒す言葉を「壮大な言い訳」と語る岸田さんは、エッセイを読む人にどう生きてほしいと願っているのだろうか。
「私は、『岸田さんの哲学に倣って生きよう』と思ってもらうよりも『こうやって自分で辻褄合わせて生きりゃいいんだ』と思う人が増える方が嬉しいです。あなたには、あなたの呪いと救いがあって私には私の呪いと救いがあるから。
例えば、私がダウン症の家族がいる人と喋ったら共感できるかと言ったら、共感できないことがほとんどです。その人にはその人の呪いと救いがあるからです」
SNSでの交流が生んだ“遠い親戚”のような親近感
岸田さんは、ニュースのコメンテーターなどで「他者の呪いと救い」に関するコメントを伝えることもある。
「『ダウン症の子は』とか『認知症の会は』とか、主語をとても大きくして話さないといけなくなるのはしんどいですね。一方、ブログやnoteでは主語を小さく、小さくしていって、『私の場合は』を書ける。そんな場所を持っていたのが救いです。
これが雑誌の連載や認知症の雑誌、障害者系の雑誌とかだったら、絶対に自分のことを書けなかったと思います。自分勝手でいられる場所を見つけたことが、とても良かったです」
執筆を始めたきっかけからその後の活動まで、SNS時代の申し子のように生きてきた岸田さんが、最近関心を持っている存在がいる。
「韓国にイ・スラさんという、私と同じような生き方をしている作家がいるんですよ。その人は、自分が大黒柱になって家族の問題を全部解決していくんです。そして、本で儲けるのではなく、メルマガを発信して収入を得ています。『家族が大変でローンが返せないので文章を直売します。読んでください』と言って……。
メルマガも今の時代ならではですが、私の本もブログが当たり前になったSNS時代だから味方されたんじゃないかなと思います。
インターネットは毎日のように目に触れるから、私のnoteを読んでくださっている方は、『遠い親戚みたい』と言ってくださることがあります。親近感が湧くんでしょうね。
私が小学生の頃からネット上での友情に助けられたような思いを、持ってくださっているのかもしれません。
私の人生には、家族に関する試練が次々やってきましたけど、SNS時代に活動できたことには爆運があったなぁと思っています」
ライター/谷口友妃