40年来の恩師を失った中森明菜(中森明菜のYouTubeチャンネルより)
昭和のスターたちの「喉」を支えた名伯楽がこの世を去った。何人もの埋もれかけた“原石”を、磨けば光ると信じて指導してきた彼は、唯一無二の歌声で人々を魅了し続ける、歌姫・中森明菜(59才)の才能にもいち早く気づいていた。
「父はその人だけが持っている“個声”を見いだすことをとても大切にしていました。1500人以上の歌手や俳優を育ててきましたが、なかでも特に気にかけていたうちのひとりが、明菜ちゃんでした」
2月26日、ヴォイストレーナーの大本恭敬さん(享年90)が、1月5日に亡くなっていたことが公表された。娘の大本京さんがそう語るように、大本さんは中森明菜(59才)にとっての恩師であり、2人は40年来の仲だったという。
2022年8月に活動再開を宣言し、昨年7月にはファンクラブ限定イベントで約6年半ぶりに生の歌声を披露した明菜は、今年も精力的に活動を続けている。4月には自身初となる野外フェス「ジゴロック2025」に出演し、5月には、明菜をリスペクトするアーティストたちによるトリビュートアルバムの発売が予定されている。
完全復活が近いと囁かれるなかで、私生活では“永遠の別れ”が続いた。
「昨年末に明菜さんの実父が90才で亡くなりました。彼女は実家と“絶縁状態”といわれ、家族とは30年も会っていなかったようですが、かけがえのない肉親ですし、ショックの大きさは計り知れません。その悲しみが癒える間もなく芸能界での父のような存在だった大本さんまで他界してしまったのですから、胸中は察するに余りあります」(芸能関係者)
大本さんは1960年代初頭に日本で初めて「ヴォイストレーナー」を名乗り、西城秀樹さん(享年63)やピンク・レディー、岩崎宏美(66才)ら錚々たる歌手を世に送り出してきた。85才まで現役でトレーナーを続け、指導してきた生徒数はプロアマ合わせて延べ45万人にも及ぶ。大本さんと交流のあった、『中森明菜 消えた歌姫』(文藝春秋)の著者でジャーナリストの西崎伸彦さんが明かす。
「大本さんは、桜田淳子さん(66才)は音を外していても、その場にいた大人たちがみんな目を奪われるようなスター性があったとか、男性歌手では徳永英明さん(64才)が印象的だったと冗舌に語っていました。彼らとはまた違った魅力を備えていたのが、明菜さんだったそうです」
厳しい指導で知られた大本さんは、時には容赦なく生徒を怒鳴りつけることもあった。
「自宅マンションの一室をレッスン場にされていたのですが、『家に入ってスリッパが斜めになっていたら、その日は先生の機嫌が悪い』という合図が、歌手の間で申し送り事項になっていたほどだったそうです」(西崎さん)
明菜は歌手の登竜門だったオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)で2度不合格になった後、1981年に三度目の正直で合格。ようやく掴んだデビューに向け、その頃から大本さんの下で猛特訓を受けた。京さんが語る。
「『スター誕生!』の審査員兼ピアノ伴奏を務めていた父は、『鼻にかかった声に独特の艶っぽさと憂いのある低音がいい』と明菜ちゃんの素質を見抜いていました。レッスンはほぼ毎日行われましたが、明菜ちゃんはどんなにきつく叱られても、必死に食らいついていたそうです」
デビュー当初、レコード会社や事務所は明菜を「第二の山口百恵」にしようと躍起になっていた。
「そのためレッスンでは百恵さんの楽曲が多く使われたのですが、それではどうしても声の出し方や歌い方が彼女に似てきてしまう。その癖を直すために、父は自分が作った練習曲を明菜ちゃんに歌わせていました。『第二の百恵と呼ばれてもうれしくないだろ? 歌手として、この子にしか出せない声を見つけてあげないといけない、それがぼくの仕事だ』と言い続けていました」(京さん)
明菜が持つ独特の鼻の奥に響かせる鼻腔共鳴や力強く切ないビブラートなど、大本さんが「暖かみのある低音」と評する美声はこうして引き出され、磨かれていったのだった。
「明菜ちゃんは、デビュー後もレコーディングやコンサート前には、レッスンを受けにきていました」(京さん)
1991年にテレビ番組『歌謡びんびんハウス』(テレビ朝日系)に出演した明菜は、厳しくも温かい大本さんの指導を振り返り、特に心に残った言葉を明かした。
「『初心を忘れるな』という言葉だったそうです。彼女ははじめて会ったときから謙虚だったそうですが、『絶対それを忘れるな。何年経ってもいまのままでいなさい。天狗にはなるな』と耳にタコができるくらい言われたとか。彼女は『何年経っても先生の前で胸を叩いて、“ねえ先生、私変わらないでしょ?”って言える自分でいますから絶対に大丈夫ですよ』と返していたみたいです」(前出・芸能関係者)