「長寿」と「引き際」
晩年に至ると、親交のあった各界の知人たちとの逸話を交えて人生の掉尾をどう生きるかに言及する機会も増えた。石原慎太郎氏とは、同年代に作家デビューした旧知の間柄だったが、よく出た話題は「富士通は親指シフトのワープロを生産終了してケシカラン」だったという。“毒舌”同士ではあったが、いつも通ずるものがあった。
石原氏は豊洲市場への移転問題で、移転計画の責任者である前都知事として2017年3月に記者会見を開いたが、明らかに体調が優れない様子で、発言に精彩を欠いていた。しかし、曽野さんは、石原氏の勇気を褒め称えた。
〈氏は公然と老市民としての務めを果たした。やはり我等の慎太郎は輝いていたのである〉
老いてなお、筋を通した石原氏への賛辞である。曽野さんは、ただ長生きするための延命治療には否定的で、自身の死生観をこう述べていた。
〈人は適当な時に死ぬ義務がある。ごく自然にこの世を辞退するのだ。それで初めて私たちは人間らしい尊厳を保った、いい生涯を送ったことになる〉
そのうえで、死に臨む際の心構えをこう記した。
〈孤独と絶望こそ、人生の最後に充分に味わって死ねばいい境地なのだと、私は思う時がある。この二つの究極の感情を体験しない人は、多分人間として完成しない〉
家族に囲まれていようが、死ぬときは誰しも一人だ。その孤独と絶望が、人を“完成”させる。
本誌連載のタイトルになった「昼寝するお化け」とは、たまに昼寝をすると、血圧が下がって不快になり、お化けのようになるが、その分ものが正確に見えるようになる自身を表わした言葉である。
家族葬で静かに旅立った最期に接し、連載開始当初の本誌担当は、曽野さんがよく口にしていた言葉を思い出す。それは岸信介・元首相の養生訓で、「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」というもの。曽野さんが、「こんな寒い日に弔いなんか来る必要はない。家で静かにしてらっしゃい」と呼び掛けているような気がした。
どの時代にも注目を浴び続けた人生とは対照的に、目立つこと、派手な舞台を好まず、しかし、使命感と信念に生きた人であった。その言葉は、これからも日本人の心に強く響くだろう。
※週刊ポスト2025年3月21日号