作家・曽野綾子さんが遺した金言を振り返る
作家の曽野綾子さんが93年の生涯を閉じた。若くして「第三の新人」として『神の汚れた手』など数々の名作を生み出し、日本財団会長として世界に救済の手を差し伸べ──その偉業を挙げればこの紙数では収まらないので割愛するが、改めて1992年から26年間に及んだ本誌『週刊ポスト』連載「昼寝するお化け」から、その金言を振り返る。
※以下、引用は『昼寝するお化け』(1994年)、『生きるための闘い』(2002年)、『人生の退き際』(2018年、すべて小学館)より
曽野さんは、日本財団はもちろん、自身で運営した財団やクリスチャンとしての活動で世界の貧困地域を飛び回った。だからこそ、戦争や悲惨な境遇に生きる人たちに心を寄せるだけでは解決しない厳しい現実と向き合ってきた。
善意で、古着や毛布などの救援物資を送りたいと申し出る人が多いが、それを最貧国の末端に届けようとしても、莫大な費用と手間がかかり、しかも途中で物資は横流しされ霧散してしまうことも多い。終戦後の日本では毛布や脱脂粉乳などの救援物資は一般の民衆にまで届いたが、そういう国は稀だという。
〈こういう国なら、すぐ援助などいらなくなるのである。援助がいるという国には、道義にも問題がある国が実に多い〉
賄賂や横流し、窃盗が横行し、援助に終わりがなくなる。それで、曽野さんはアフリカや南米に自ら足を運ぶ方法を採り続けた。だからこそ、安易に“弱者救済”を訴える人々に対しては手厳しい。
〈弱者を大切にしようとか、弱者の視線を失うな、と言う時、その人は、相手の立場を考えているというより、自分が人道主義者、人権尊重主義者、だということを誇示したがっている〉
本当に弱者のことを考える人は、〈まっしぐらに救う方途を考えて行動する〉という。まさにまっしぐらに救う活動をしてきた曽野さんならではの重い言葉だ。