遠田潤子氏が新作について語る(撮影/朝岡吾郎)
装丁をカラーでご紹介できないのが心苦しいほど、道頓堀川沿いを行く人々や桜の舞う様子が春の到来を感じさせる、遠田潤子氏の新作『ミナミの春』である。
「なんで今回は明るい話になったのか、実は自分でもよくわからないんですよ。でも、へえ、遠田潤子ってこういう話も書くのかと、読者の方に面白がっていただけるなら嬉しいです」(遠田氏、以下「」内同)
第1話「松虫通のファミリア」から「ミナミの春、万国の春」まで、本作では南海なんば駅や道頓堀、心斎橋を中心とするいわゆるミナミを舞台に、人情噺というにはほろ苦く、それでいてやっぱり浪花節な全6話が、昭和~令和の各時代に亘って描かれる。
それらを経糸として貫くのは船場の商家出身の人気姉妹漫才コンビ、〈『カサブランカ』チョーコ ハナコ〉。〈蝶よ花よと育てられ〉の謳い文句で知られた2人の芸に、ある人は憧れ、ある人は憎みもしたが、そんなこんなで人々が生きた時間や思いこそが、大阪という街の歴史を形作ってもいた。
遠田氏自身は堺市出身で、南大阪在住。食事や遊びに行くのも専らミナミだ。
「そこへ行くだけで心構えの要るキタと違って、ミナミには今でも時々行く喫茶店があったり、子供の頃によくCMを口ずさんだ味園ビルがまだあったりする。そうした自分の思い出の中にある大阪の各時代を、無意識に投影していた部分はあるかもしれません」
当初はチョーコとハナコが主人公レベルで活躍する話を書く予定だったとか。
「私自身は漫才をテレビで普通に見る程度で、いとし・こいしみたいな、古い漫才が好きなんですよ。でも漫才ブーム以降はテンポが早すぎて、たぶんダウンタウンくらいまでで頭が止まってしまっていると思う。ただ、もう少しのんびりしてもいいよなあと思って、チョーコ達にはあえて王道を行かせ、その芸に憧れる〈ハルミ〉と〈ヒデヨシ〉を書いた辺りから、全体のトーンが決まっていった。
大阪弁は実際の大阪弁とは違って濁点を極力減らした、コテコテではないちょっと柔らかい大阪弁をイメージして、チョーコ達を船場の出身にしたのは、谷崎作品の中で『細雪』が一番好きだから。私はいつも短編を三題噺の要領で書くんですが、今回は1つは漫才で1つは各話の主人公毎のエピソード、もう1つは禅の言葉。そういった大枠だけを決めて書いていきました」
例えば1話の舞台は1995年。大手飲料会社で定年を迎えた〈高瀬吾郎〉がなぜその子供用のワンピースを手に御堂筋線・昭和町駅に降り立ったかといえば、10年前に会ったきりの娘〈春美〉の遺骨と5歳の孫〈彩〉を引き取るためだった。
駅まで迎えに来てくれたヒデヨシは春美の元相方で、解散後もシングルマザーの娘を何かと支えてくれたらしい。松虫通のアパートでは出勤前の姉〈奈津子〉が化粧をしており、聞けばこの姉が千日前のキャバレー「ユニバース」で働いて弟を高校まで行かせ、春美の死後も彩の面倒をずっと見てくれていたという。
かつて春美はピアノ講師だった妻の影響でピアニストを夢見、今は亡き妻が死の間際に買い揃えたのが、毎年発表会に着られるようサイズも11通り選んだファミリアのワンピースだった。
しかしそんな母の思いが遺された父と娘を苦しめもした。春美は高校を卒業後、吾郎達の反対を押し切ってお笑いタレントの養成所・NSCへ。同期のヒデヨシとコンビを組んだ娘の芸を吾郎は一度見たきりで、そしてあの地震の日の朝、神戸のピアノバーでピアノと壁に挟まれた娘の訃報を聞くまで、孫の存在や春美が再びピアノを弾いていたことも知らなかったのだ。