その春美が亡き母を重ね、相方と半ば強引に弟子入りしたのがカサブランカで、第2話以降も所々に2人の名前が登場するが、いくつになっても美しいチョーコと、親しみやすいハナコというイメージの裏側では雑音や噂も多々飛び交い、ことに芸に生きる人々の業の描写には、寒気にも似たものがふっと走る瞬間がある。

「最初の方は虚像としてのチョーコとハナコですよね。一般の人が見た。そこから彼女達を直に知る人の話や生身の反応が少しずつ出てくるわけですけど、それも芸人だけにどこまで本当かはわからない。自分と違う自分を完璧に作って人前に出せるなんて、才能以外の何物でもないし、だったら人物造形は断片程度にして、あまり描きこまない方がいいのかなあと思いました」

 他にもチョーコの初舞台『細雪』の観客同士として出会った、かたや末期癌の夫に隠し子の存在を明かされた〈橋本喜佐〉58歳と、結婚詐欺で虎の子の1000万を失った〈田島都〉38歳が、グリコの看板下、通称グリ下で泣く〈サエ〉18歳を見かね、深夜のファミレスやカラオケを転々とする「道頓堀ーズ・エンジェル」。

 また、船場で代々続く開業医と再婚した母親の死後、毎週日曜には母直伝の明石焼を必ず一緒に作り、買物にも連れ立つ優しい父親に、医学部志望の娘〈翼〉が〈感謝せなあかん。普通にせなあかん〉と思えば思うほど心身に傷を抱えていく「黒門市場のタコ」など、一つ間違えば悲劇にも転びかねない善意や親子愛を、遠田氏は本作ではあと一歩で食い止め、明るく笑える浪花節に仕立ててみせる。

「秋に出る本は結構ドロドロした話なので、今回限りかもしれませんけど(笑)。ただ、イイ話にし過ぎてもよくないし、短編だけに結末は書きすぎず、余韻が残るように意識はしました。

 元々私は主人公上げというものが苦手で、例えば血の繋がらない親子が努力して親子になっていくみたいな映画や小説の中のイイ話に疑問を持っていた。むしろ父親から溺愛されて育ったチョーコのように、私には虐待じゃない虐待や抑圧の厄介さを描くことの方が難しかったし、定型でわかりやすい物語に対する、ささやかな抵抗ですよね。そのせいか、放っとくとすぐ主人公下げに走ろうとするし、いくらでもエグイ方向に話が振れていく(笑)。

 でもどんなにダメな人物も私は『好きだなあ』と思いながら書いていて、それが今回は群像劇の方向に向かったという感じもします」

〈閑古錐〉や〈壺中日月長し〉といった禅の言葉、そして今も残る店や曲や失われた人や景色も含む全てが有機的に絡み合う最終話は圧巻。「昔はよかったというふうには書きたくなかった」という著者の禍福に関する的確な目が、このちょうどよい読後感を生んだのだろう。

【プロフィール】
遠田潤子(とおだ・じゅんこ)/1966年大阪府生まれ。関西大学文学部独逸文学科卒。会社員や専業主婦を経て2009年『月桃夜』で第21回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。『雪の鉄樹』が「本の雑誌が選ぶ2016年度文庫ベスト10」第1位、『オブリヴィオン』が「本の雑誌が選ぶ2017年度ベスト10」第1位に。2017年『冬雷』で第1回未来屋大賞を受賞。また2019年『ドライブインまほろば』で大藪賞候補、2020年『銀花の蔵』で直木賞候補など著書多数。160cm、A型。

構成/橋本紀子

※週刊ポスト2025年3月28日・4月4日号

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