元気なシニアも増えている(イメージ)
超高齢社会と化している国・ニッポン。昨年、総務省が敬老の日に発表した統計 によれば、 65歳以上の人口は3625万人、総人口に占める割合は29.3%と過去最高を記録した。
年齢と意識にギャップがあることは珍しいことではない。学生時代におぼえのあるスポーツを久しぶりにやったら怪我をしたという中高年も、多いのではないだろうか。御年77歳になるエッセイスト・勢古浩爾さんも、「じつは、ほとんどの老人が、自分を老人だとは思っていない」――と実年齢と本人の意識にギャップがあるシニアが多いことを指摘する。
勢古さんの辛口で痛快なエッセイ『おれは老人?』(清流出版)より、年の重ね方、生き方について考える。(同書より一部抜粋して再構成)
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昔の老人は自分をどう思っていたのだろうか。
かれらも、ひとりでぼんやりしていたときは、老人という意識はなかったのかな、と考えた。いつの時代でも、老人という生き物は、そういうものかなと。いやいや、そんなわけはあるまい。
考えが浅はかだった。
五木寛之や黒柳徹子が、自分は老人という意識がないというのなら、90年前の老人もそうだったのではないかと思ったのだったが、考えてみれば、五木や黒柳が老人になったのは、つい最近、2000年前後のことである。かれらも2000年以前は、まだ若かったのだ。
だから、昔の老人もまた、と思ったのだが、昔、の意味がちがう。
最近、80歳、90歳になったのはだめだ。少なくとも、戦前、戦中に老人でなければ、昔の老人の対象たりえない。しかし明治、大正時代の老人が、自分を老人だとは思っていない、なんてこと、到底ありそうではないのだ。
戦前の老人ということでイメージするのは、もう一も二もなく笠智衆である。その次に、なぜか永井荷風である。長身の背広姿にハットをかぶり、ステッキをついていたダンディなイメージが思い浮かぶ。
調べてみると、笠智衆は明治37年(1904年)生まれ、永井荷風は明治12年(1879年)生まれで、驚いたことに笠智衆は荷風より25歳も若いのだ。
なにしろ、『東京物語』に出演したのが49歳のときだものな。イメージはあてにならないものである。
荷風が死んだのは昭和34年(1959年)。79歳である。現在のわたしと2歳しかちがわない。
だがかれが老年をどう思っていたのか、はわからない。
『断腸亭日乗』を紐解けば、なにか書いているかもしれないが、そこまでするつもりはない。そこまでして、知りたいというわけではないのだ。
昔の老人は、まだ若いもんには負けんぞ、ということなら考えたかもしれない。実際、力が強いじいさんが多かった。
しかしそれは、おれは老人じゃないと思っていたのとはちがう。
だいたいキャップをかぶってはいなかったし、半ズボンにスニーカーなど存在しなかった。バッグを斜めにかけたりしなかった。
そんな妙ちきりんな格好をせずに、おれは老人ではない、などと考えるのは無理がある。パソコンもスマホももっていない。
いや、昔のじいさんが、自分をどう思っていたか、などどうでもいいではないか。
ちょっと方向がまちがった。
自分で書いておきながら、わからなくなると、やめてしまうのはわたしの悪い癖だが、考え直してみると、たしかに昔の老人のことなど、どうでもいいのだ。
現代の老人がどうなのか、がわかればいいのである。
平成・令和に70歳以上になった老人のことである。わたしを例にとれば、団塊の世代が初めて70歳以上になったのは、2017年(平成29年)である。
そんな老人を典型的な現代老人と考えてみる。