JR大阪環状線桃谷駅から徒歩2分、深紫の暖簾をくぐると「お帰り~」の声。「(亡くなった)主人と31歳の時からここで角打ちを始めて、今まで続いてます。主人は下戸だったけど、私は酒豪よ!」と元気に語るのは店主の今津春江さん(88歳)だ。
「私は島根県の生まれ。主人は滋賀県。若かりし日に大阪で出会って結婚してね。一緒にバーをやったりしてたんやけど、最終的にここ桃谷で酒屋を始めたんよ。夫の兄が酒屋をやっていたんがきっかけやね。桃谷は大阪の下町でええとこよ」(春江さん)。屋号の近江屋は、夫の故郷に由来する。
桃谷駅前から東には、たこ焼きや豚まんといった庶民的な食べ物から日用品までなんでも揃う長いアーケード商店街があり、その先はコリアタウンへと続く。この辺りは、天王寺区と生野区がぶつかるところで、多様な文化が入り混じった独特な活気にあふれている。
常連の60代氏が「大阪の酒好きは、最初はキタ(梅田を中心とした北新地周辺の通称)できれいに飲むんや。それから、(JR大阪駅から)一駅ずれて天満で一杯やって、またずれて京橋と、JR環状線を右回りで南に降りてくるねん。そのうちに、桃谷にたどり着くんや。ここはな、呑み助たちが、酒をゆっくり楽しむのにうってつけの街やね」と教えてくれた。
今宵も、「実の母以上に秘密の話をしています」(50代、自由業)と春江さんのことを慕う常連客が続々とやってくる。
連日大賑わいの近江屋今津酒店では、みな笑顔
春江さんが毎朝6時起きで仕込む、肉じゃがならぬ「すじじゃが」など浪速のお袋の味も大評判だ。「ここは“あて”がようけあるのがええねん。お母ちゃんは料理上手や」と常連の一人が話すと、春江さんはすかさず、「この子を育てた味やもん」と娘の光代さんに目線を送る。
「母は、みんなにおいしいものを食べさせたいと思うてるから、毎日、元気で仕込みして、店に立ってるんやと思います。うちのお客さんは、私以上にここを自宅のように思ってくれはりますねん」」と光代さん。夫の三晃(みつあき)さんと親子3人で店を盛り立てている。
店主の今津春江さん(中央)を囲み、娘の光代さんと夫の三晃さん
「この店はなあ、かつては94歳のお客さんが二人もおったんよ。通天閣みたいに背の高い人や体の大きい双子さんもおるしな。いろんな人が、いろんな話をしてるから、来るだけで楽しいねん」と緑色の服に身を包んだおしゃれな70代のマダム。背の高さを通天閣に例えるのが浪速流か。「商店街で呉服屋をやってたんやけど、いまは店を閉めて悠々自適。週に2回は来てます。老後の楽しみってやつやね」。
マダムの話に出てきた50代・双子の兄弟も春江さんの大ファンだ。「あいつ(弟)は自分の両親が知らんことも、みなここのお母ちゃんに話しよる。どっか出てって帰ってけえへんと心配したときも、『どこそこに旅に出てるから、何日に戻るで』とお母ちゃんがスケジュールを知ってる」、「そらあ、僕はここのお母ちゃんに心を開いてるからなー」と笑い合う。春江さんは「兄弟、仲良うしいや。それがいちばんの親孝行やで」。
店主の春江さんは、「毎日晩酌を欠かさない」という
「亡くなった旦那さんも、ほんまええ人でな。銭湯で出会って顔見知りになったら『背中、流そうか?』と声をかけてくれるような人やったんやで。優しいやろ? その人柄に惚れて、この店に通うようになったんや」(双子の兄弟の兄)