西谷浩一監督の「歩き方」のマネも鉄板ネタだ(産経新聞社)
「高校の時にやっていたモノマネをそのままやっているだけ」
大阪桐蔭は公式戦の日、西谷監督を先頭にして選手が一列に並び、球場入りする。その時、歩くスピードが遅い西谷監督に、勢いあまった選手がぶつかってしまう――西谷監督や大阪桐蔭を追いかける者が見れば、笑うというよりも「あるある」と頷いてしまうような、そんな細かすぎるモノマネの数々がブレイクするきっかけとなった。
「失礼ですよね。西谷監督って歩くんがだいぶ遅いんで。小走りしても、遅いんで(笑)。高校野球大好き芸人のかみじょうたけしさんには、『あの歩き方をマネできる人なんておらへんで』と言われて嬉しかったですね。僕はただ、高校の時にやっていたモノマネをそのままやっているだけなんですよ。他に閉会式の時に、隣に立つ記録員の選手のお尻をつねったりしてちょっかいを出すネタもあるんですけど、実際に西谷先生は、教え子との写真撮影の時にそういうことをやるんですよ。昔からイタズラ好きで、お茶目なところがあるんです」
ラテ氏が大阪桐蔭に入学したのは1999年。前年の1998年11月に西谷氏が監督に就任した直後のことだ。ラテ氏と同時に左腕の岩田稔氏や中村剛也、1学年下には西岡剛氏(元千葉ロッテほか)がいて、その後に常勝軍団となる大阪桐蔭の礎となった時期だ。
「野球部は基本坊主ですし、ラグビー部も髪型でおしゃれすることなんてできない。だから、僕らは眉毛を抜くことがおしゃれやと思っていたんですよ。すると西谷先生から『眉毛を抜くことがスポーツに必要なのか』と注意されたことはよく覚えています。担任として、大学受験に必要な小論文の書き方なんかは丁寧に教えてもらいましたが、クラスでは先生の大好きなお菓子の『ベビースター』と飲料水の『桃の天然水』を先生の机に置いていたら、テスト範囲を教えてくれるなんて噂もありましたね。デマでしたけど」
卒業後、西谷監督は常勝軍団の指揮官として名を馳せていく。甲子園のお立ち台でインタビューを受ける西谷監督の姿を見ると、高校時代の日々を思い出すと語る。
「いつも思うのは、ボロ勝ちをしても、必ず相手校の投手を褒めるじゃないですか。ああいうの、めっちゃ西谷先生らしいなって思います。それと、汗っかきな先生はいつもタオルで汗を拭っている。『細かすぎて』のオーディションでやったこともあるんですけど、それは通らなかったですね」
恩師である西谷監督のモノマネをテレビで披露するにあたって、ラテ氏は西谷監督に久しぶりに連絡を入れた。その時に、忘れられない言葉をかけられたという。
(前編了。西谷監督の電話での応答を明かした後編へ続く)
■取材・文/柳川悠二 ■撮影/藤岡雅樹