人の命がかかると見捨てるのは無理
「公河のように医者は人の命を日々天秤にかけることを強いられる。自分は何十時間も寝ていない中、目の前の患者はこのままだと絶対に死ぬから、あーっ、もう休みたいって思いながら血を止めるわけです。そうすると患者の命は助かり、寝ずの勤務がまた続くという連鎖は終わらない。それでも目の前に人の命を差し出されると拒めないし、見捨てられない。それってたぶん医者に限らないと思う。
その良心に付け込むシステムもだからこそ生まれるわけで、近隣の病院が救急から撤退し、地域の医療を数人で担うような状況になるとハマってしまう。人の命がかかると無理なんです。死ぬまで働いちゃうんです。いくら医者の時間外労働の上限が法律で決められても、本当に守ったらそれ以上の人が死ぬ。だから国や行政や、へたすると医者自身も、自分が死ぬ方がまだマシだと思いこむ状況が、時々ですけど訪れるんです」
そんな極限状況で公河が見た景色や同僚各々の温度を朝比奈氏は精緻に綴り、その足元がゆらゆら揺らぐような感覚に私達読み手もまた溶けていくかのよう。
「人間は毎日眠って背骨を休め、1日を区切らないと内臓も痛むし精神も痛む。あるいは自分と他人の間に壁があるから自我を保てたり、境目に助けられている部分も結構あるんですよね。その境目が溶けだすと、人の苦しみがドッと入ってきたり、自分さえ良ければいいとは全く思えなくなる。こうなるとホント、大変です」
続くことの恐ろしさや、自分は誰の何に守られているかなど、筆致こそ端正ながら胸を深く抉る物語だ。
【プロフィール】
朝比奈秋(あさひな・あき)/1981年京都府生まれ。消化器内科医。約5年の投稿生活を経て、2021年「塩の道」で第7回林芙美子文学賞を受賞しデビュー。2023年『植物少女』で第36回三島由紀夫賞、『あなたの燃える左手で』で第51回泉鏡花文学賞と第45回野間文芸新人賞、2024年『サンショウウオの四十九日』で第171回芥川賞を受賞。現在は非常勤医として働く傍ら、「一生かけても書き終わりそうにない」物語のストックと格闘。「僕には借金かノルマに見えます(笑)」。180cm、64kg、A型。
構成/橋本紀子
※週刊ポスト2025年4月11日号