ライフ

朝比奈秋氏『受け手のいない祈り』インタビュー「他人との間に壁があるから自我が保てたり、人間には境目に助けられている部分がある」

朝比奈秋氏が新作について語る(撮影/朝岡吾郎)

朝比奈秋氏が新作について語る(撮影/朝岡吾郎)

 執筆意図も書きたい事も「僕には特にないんです」。そう語る朝比奈秋氏が常勤医の傍ら論文の執筆に追われていた34、35歳のこと。突然幾つかの物語が頭に浮かび、一向に消えてくれないその映像をやむなく小説にして投稿した。後にそれらは三島賞など数々の賞に輝き、昨年は『サンショウウオの四十九日』で第171回芥川賞を受賞した。

「それこそ一時は勤務医をやめるしかなくなるくらい、その書きたくもない物語で頭が一杯になった。せめてプロにはならないと割に合わないと思いながら、ひたすら投稿していました」

 受賞後第一作『受け手のいない祈り』も、そうした物語の一つに端を発する。主人公は関西郊外のとある総合病院で外科医を務める〈公河〉。〈誰の命も見捨てない〉を院是とする同院で激務に追われる彼の元に、ある日、医大で同期だった〈ヤナザキ〉の訃報が届く。産科離れで一部の産院に患者が集中する中、彼女は当直室でシャワーを浴びながら、全裸で亡くなっていたという。過労死だった。

 その〈背骨を立てたまま〉の死に様を公河もまた他人事と思えず、今日と明日が溶け出し、あらゆるものが際限なく続く、悪夢に似た境地をさまよい続けるのだ。

「僕も30前後の頃に最悪な過労状態を経験したことがあった。過労死寸前の時って、受け止めきれないんですよね。なんで眠らないことがこんなに苦しくて、なぜ患者を見捨てられないのか、一々考える暇がない。それは公河や同僚の〈奥内〉が目の前の患者を見捨てられないのと同じで、そうか、だから自分も見捨てられなかったんやって、渦中にいる時にはできなかった解釈が、今になってようやく始まった感じです」

 その日も真夜中に食糧を漁り、奥内の夜食用だった製薬会社の差し入れ弁当にまで手を出す公河の、時間の感覚がまずは怖い。朝6時半から外来やオペや救急対応をこなし、ふと気づけばまた朝が来て、24時間前に診た〈三十七番目の患者〉の完全に治った傷を目の当たりにするなど、全てに〈二回目〉や〈既視感〉を覚えてしまうのだ。

〈つまるところ、全ての人間が一日単位で繰り返しを行っていた〉〈社会を包む自然が一日単位で繰り返し、あるいは、反復していた〉

 その反復から疎外された公河が、医長の〈敷島〉に〈これからほんまちにでる。おまえも来るか〉と請われ、夜勤を抜け出した時のこと。久々の活気に昏々しつつも、敷島の彼女〈ゆかり〉らとそつなく会食する彼の目には、無邪気に夜の街を歩く〈普段着〉の人々が〈病気以前、患者以前〉の群れに映るのだ。〈そんな人間とは知り合いたくない〉と。

「今は白衣も病衣も着ていない人達やけど、飲み過ぎて病気になったら全部オレが診んねんぞっていう、それは未来の主治医としては当然の怒りなわけです。

 それくらい今日と明日が繋がり、覚醒と睡眠の境目までなくなると、生と死や自分と他人、過去と未来といった他の対立概念までがなぜか混じり始めるんです。僕も一番酷い時は2か月くらい、意識が24時間途切れない状態がずっと続いたことがあった。『植物少女』で意識のある人と植物状態の人の話を書き、『サンショウウオの四十九日』では同じ体を生きる結合双生児の話を書いたのも、そうした境目がなくなる経験と関係があるのかもしれません。

 小説で社会的に何かを告発したいとか、問題提起したいとかは全くないんです。物語が次々に湧きだして、書いても書いても追いつかないから書いているだけで、僕はクラシックが好きだから、音楽が湧き出してくれたらもっとよかった(笑)」

 実際、著者のPC上には頭に浮かんだものを記した夥しい数のファイルが並び、その数150超。それらを書いたからわかったことのひとつに、時に残酷な人間の良心の働きがあるという。

関連記事

トピックス

子育てのために一戸建てを購入した小室圭さん
【築40年近い中古の一戸建て】小室圭さん、アメリカで約1億円マイホーム購入 「頭金600万円」強気の返済計画、今後の収入アップを確信しているのか
女性セブン
公益社団法人「日本駆け込み寺」元事務局長の田中芳秀容疑者がコカインを所持したとして逮捕された(Instagramより)
《6300万円以上の補助金交付》トー横支援「日本駆け込み寺」事務局長がコカイン所持容疑逮捕で“薬物の温床疑惑”が浮上 代表理事が危険視していた「女性との距離」
NEWSポストセブン
1986~2002年【カーネル・サンダースの呪いと「長き暗黒時代」】指揮官が吉田義男から村山実に引き継がれるが、掛布や岡田の不振もあり低迷。17年間で10回のリーグ最下位
《何度も阪神贔屓を辞めようと思ったけど…》国際日本文化研究センター所長・井上章一氏が“阪神ファンを育てるメカニズム”を分析して得た結論「歴史研究は役に立たない」
週刊ポスト
カジュアルな服装の小室さん夫妻(2025年5月)
《親子スリーショットで話題》小室眞子さん“ゆったりすぎるコート”で貫いた「国民感情を配慮した極秘出産」、識者は「十分配慮のうえ臨まれていたのでは」
NEWSポストセブン
有名人の不倫報道のたびに苦しかった記憶が蘇る
《サレ妻の慟哭告白》「夫が同じ団地に住む息子の同級生の母と…」やがて離婚、「息子3人の養育費を減らしてくれと…」そして驚いた元夫の現在の”衝撃姿”
NEWSポストセブン
“極秘出産”していた眞子さんと佳子さま
《眞子さんがNYで極秘出産》佳子さまが「姉のセットアップ」「緑のブローチ」着用で示した“姉妹の絆” 出産した姉に思いを馳せて…
NEWSポストセブン
六代目山口組の司忍組長(時事通信フォト)と稲川会の内堀和也会長
《日本中のヤクザが横浜に》稲川会・清田総裁の「会葬」に密着 六代目山口組・司忍組長、工藤會トップが参列 内堀会長が警察に伝えた「ひと言」
NEWSポストセブン
気持ちの変化が仕事への取り組み方にも影響していた小室圭さん
《小室圭さんの献身》出産した眞子さんのために「日本食を扱うネットスーパー」をフル活用「勤務先は福利厚生が充実」で万全フォロー
NEWSポストセブン
5月で就任から1年となる諸沢社長
《日報170件を毎日読んでコメントする》23歳ココイチFC社長が就任1年で起こした会社の変化「採用人数が3倍に」
NEWSポストセブン
岐阜県を訪問された秋篠宮家の次女・佳子さま(2025年5月20日、撮影/JMPA)
《ご姉妹の“絆”》佳子さまがお召しになった「姉・眞子さんのセットアップ」、シックかつガーリーな装い
NEWSポストセブン
会話をしながら歩く小室さん夫妻(2025年5月)
《極秘出産が判明》小室眞子さんが夫・圭さんと“イタリア製チャイルドシート付ベビーカー”で思い描く「家族3人の新しい暮らし」
NEWSポストセブン
ホームランを放ち、観客席の一角に笑みを見せた大谷翔平(写真/アフロ)
大谷翔平“母の顔にボカシ”騒動 第一子誕生で新たな局面…「真美子さんの教育方針を尊重して“口出し”はしない」絶妙な嫁姑関係
女性セブン