生活保護をもらいながら一人暮らしする人は多い(イメージ)
長野県の公営集合住宅で一人暮らしをしている明日香さん(49、仮名)は、高校卒業後に就職するも長く続かず、職を転々としていた。しかし、2012年に自閉スペクトラム症と注意欠如・多動症、重度のうつ病と診断され、現在は生活保護を受給しながら切り詰めた生活を送っている。苦しみ続けた時期を経て、明日香さんが見つけた答えとは──。
発達障害と診断された人たちの実体験や、彼彼女らを取り巻く社会に深く切り込み、日本の実像を炙り出した信濃毎日新聞社の連載「ふつうってなんですか?──発達障害と社会」をまとめた書籍『ルポ「ふつう」という檻』(岩波書店)より、一部抜粋して再構成。【全3回の第3回。第1回を読む】
「ふつう」と闘わない境地に
玄関のドアを開けると、ダイニングはがらんとしていた。冷蔵庫の他には窓際に小さな木製の台が一つ。その上に花瓶が置かれ、だいだい色のカーネーションが2輪、生けられていた。
県中部の公営集合住宅で一人暮らしをしている明日香さん(49、仮名)を訪ねた。生活保護を受給している明日香さんの部屋は、質素だが行き届いた気配りが感じられた。
「光熱費が上がった冬場に、ご飯を1日1回にしたら倒れてしまったので、食事だけはしっかりとってます」。自治体から譲り受けた炊飯器やトースターを使い、食事はすべて自炊。ご飯と味噌汁、おかず1品と決めている。ジャムや味噌は原料を手に入れ、自分で作るという。
切り詰めた暮らしぶりは徹底している。化粧品は中古品をインターネットで購入。洗顔水や保湿クリームは、直売所で買ってきた米ぬかやローズマリーを原料に自分で作る。洋服は1年に5パターンほどを着回している。
パソコンは10年以上前に買ったノート型を使っている。今の生きがいは、ウェブ会議システムなどで発達障害の当事者やひきこもりの人の声を聴き、自身の壮絶な経験を語ること。「人生って、オセロがひっくり返るように変わるんです」。朗らかに言う。
明日香さんは千葉県の地方都市に生まれた。父親は母親に暴力を振るい、母は明日香さんを虐待した。小学6年の頃に父はいなくなった。母とも疎遠になり、祖母の家を中心に育った。高卒後、東京に出て百貨店に就職した。
会計で値段を間違えるなどミスが多く、上司によく怒鳴られた。上司や同僚が「何か本音を隠している」ようで怖かった。対人恐怖症と診断されて精神安定剤を飲んで働いたが、49歳だった母が自死したのを機に25歳で退職。その後、コールセンターやマッサージの仕事をしたが、予約を取り違えるミスなどをし、長くは続かなかった。ホームレスになり、関東や北陸地方の寺などを転々とした。
2012年夏、長野県中部のある自治体にたどり着き、空き家に住まわせてもらった。直後に体調を崩し、生活保護を受給。精神科で自閉スペクトラム症と注意欠如・多動症、重度のうつ病と診断された。3カ月経ったが、体のだるさが取れなかった。ここから、明日香さんの壮絶な5年が始まった。