8年ぶりのリーグ優勝が決まったのは最終戦だった(産経新聞社)
「日中問題」を専門とする大学教授が「中日問題」を論じた異色の新書『人生で残酷なことはドラゴンズに教えられた』が話題だ。同書の著者で、物心ついた頃からのドラファンである富坂聰氏(拓殖大学海外事情研究所教授)が綴るシリーズ第13回では、首位を走る宿敵・巨人との対決に劇的サヨナラで勝利し、8年ぶりのリーグ優勝を大きく引き寄せた1982年9月28日を振り返る。(シリーズ第13回。第1回から読む)
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ドラ1たちの話を延々続けると少し憂鬱になってしまうので、この辺りでドラゴンズの大活躍で燃え上がりたい。
1982年9月28日、伝説となった対ジャイアンツ戦での大逆転劇だ。シーズン終盤、首位を走る巨人を2位の中日が2.5ゲーム差で追いかけていた。
実はこの3連戦の初戦、巨人が勝てば、優勝はほぼ巨人の手中に収まるとマスコミが騒いでいた。しかし負け数と残り試合数の妙で、中日にも優勝の可能性が残されていた。勝てば逆に中日にマジックが点灯するからだ。
しかし世の中の流れは、すでに「巨人優勝」が既定事実。ドラゴンズなど、ジャイアンツの進む前に置かれた小石とばかりに、さっさと蹴散らして優勝だという雰囲気だった。
よかろう。ならばドラゴンズは西南戦争の熊本城だ。目にもの見せてやろう。
ドラゴンズの前に立ちはだかったのは「昭和の怪物」江川卓投手だ。江川は球界の怪物という以上にドラゴンズにめっぽう強く、しかもこの日の登板は中6日と休養十分だった。そして試合は案の定の展開となった。中日打線は江川の前に沈黙。対する巨人は原辰徳選手のスリーランなどで6対2と大きく差をつけて最終回を迎えたのだ。
私もこの日、たまたま野球中継を観ていたのだが、中日が最後の攻撃に入る前のCMで、すでに忘却の水、レーテーの水を飲む準備に入っていた。
でも、水の中に竜神はいるのだよ。