インバウンド客は日本円の現金を持たず支払いが不可能なことも(写真提供/イメージマート)
「それがまたSNSで拡散されるんだから、たまったもんじゃない。休みも取れやしない」(マスター)。写真を撮り終えた客が「トルコから来た」と片言の日本語で言うと、「トルコ!遠い所からありがとーね」とにこやかに送り出すが、「トルコも珍しくない。50か国以上から来てるんだ。アメリカ人なんてもう日本人並みにいる感覚だね」という。中には面倒な客もいるらしく、「そういう客には帰れってはっきり言う。もう来るなってね。客商売だからって我慢はしない。言いたいことは言う、このスタイルで長年やってきたからこれでいい」というが、「もう来るなと言った客ほど、次の日にまたやってくる。店に入ってきて席に座るから、出てけ!って言うんだが、『今座ったばかりなので』と出ていかない、おかしなもんだよ」と笑う。
「ドルしかない」
そんな話をしていた後ろで、3人組の外国人客が会計をしようとして「ドルしかない」と言い出した。マスターはすかさず「コンビニで日本円をおろしてきて」と客にいう。レトロな店だけに、カードは使えずオンライン決済もない。支払いは現金のみだ。3人組は「わかった。明日持ってくる」と言って、席を立って出て行った。マスターは「たぶんドロンだと」と左手の人差し指を立てて右手で握り、その右手の人差し指も立てる忍者の隠遁術のポーズを見せた。
“払いに戻ってこないのか”と聞くと、「十中八九、戻ってこないね」とマスター。「ドルしか持ってない、という客が1日に何人もいるんだよ。観光客だからさ、その時に払えなきゃ仕方がないとでも思ってんだろうよ。こっちもいちいち気にしちゃいらんねえ。この商売も長くやっていると、細かいことを気にしてたらやってらんねえからよ」と珈琲を淹れながら肩をすくめた。
「もっと困るのはよ、観光客がみんな1万円札で払うことだ。珈琲とデザートで1000円もいかない店だよ。1万円札で払われたら、お釣りが大変なんだよ。今は両替だって金がかかるだろう。1日100万円近く売り上げがある店ならまだしも、こっちは街の喫茶店だぜ。それが朝から1万円札が20枚、30枚になってみろよ、お釣りが足りなくなるんだ。コンビニでおろしてこいといっても1万円札を持ってくる。頭が痛いよ」とマスター。
そう話しているとまた別の外国人カップルが、「ドルしかない」と言い出した。「コンビニに行っておろしてきて」とマスターが人差し指をあげて見せた。外国人カップルが頷き、店を後にする。「戻ってくると思う?」とマスターに聞くと、「どうだろうね」と返事。5分ほどすると、店のドアが開いた。さっきの客が戻ってきたのだ。「おぉ、戻ってきたか」というマスターの声に、客の外国人男性はきょとんとした顔でお金を差し出した。
「ほうら、やっぱり」と苦笑いするマスター。男性が持っていたのはピン札の1万円札だった。オーバーツーリズムの影響はこんな所にも及んでいる。