現代美術家・松山智一氏
国民的駄菓子「うまい棒」は長らく10円で販売されてきたが(現在は15円)、その1万倍となる10万円(税別)の価格が付けられたのが、現代美術家の松山智一氏(48)が作った『うまい棒 げんだいびじゅつ味』。50本限定で発売されると、展覧会初日に完売した。岐阜県飛騨高山で生まれ育った松山氏は、小学3年生の時に家族全員で渡米。3年半後に帰国するが、2002年にはニューヨークの美術大学院で学ぶため渡米した。大学院を首席で卒業した松山氏が、「作家」になると宣言したのは27歳の時だった。(文中敬称略)【前後編の後編】
松山は自身の半生を振り返って「美術で戦ってきた」と語る。
「卒業後は就労ビザが必要になる。幸いアーティストとしてのビザを取得できましたが、このビザはアート関連の仕事で生活しなければ更新できず、アルバイトもNG。生きるためにはアーティストとして食っていかなければならない。当時の生活費は1日3ドル。食事を減らし、煙草をやめて、バリカンを買って丸坊主にしました」
部屋にこもってキャンバスと向き合う生活が続くが、何かが違う。
「カフェなどで絵を売って、なんとか暮らしていましたが、ある時、ふと気づいた。部屋に閉じこもったままじゃ、ニューヨークで描いてることにならない。街に出なきゃ誰にも見てもらえない」
当時、街の倉庫やビルの壁に絵を描く若いアーティストが増えていた。松山もビルやショップのオーナーを直接訪ねた。
「何度門前払いをくらったことか。でも、行動すれば何かが起こる」
30歳になる少し前、ブルックリンのウィリアムズバーグ地区にあるバーの壁に巨大な壁画を描くチャンスに恵まれた。
「バーの経営者がたまたま僕の個展に来てくれていたんです。『おー、お前のこと知ってるぞ、じゃあ描いてみろよ。でも全部自腹だぞ』となりました」
これが転機になる。バーの壁画が雑誌に掲載されたことがきっかけで、大手スポーツメーカーの仕事が舞い込んだ。
「当時の僕にしてみたらあり得ないギャラに衝撃を受けました。しばらくお金のことを考えず制作に没頭できる。アートは人に見られ、紹介される。それを多くの人が見て、価値が決まっていくということに気づきました」