落合ドラゴンズの守備は鉄壁だった。アライバ(荒木雅博選手&井端弘和選手)が二遊間を組んでいた時代だ。
だが、「守り勝った」という表現は少し違うような気がする。落合時代のドラゴンズ、私はひたすら出先から文字情報で試合経過を追いかけていた。
携帯電話でプロ野球のページを見て「7回で1対4か……、こりゃ、今日は負けたな」と鬱々とした気持ちで仕事を片付け、試合が終わった頃、あまり期待しないでもう一度端末を開いてみると、「うわっ、いつの間に逆転したんだ!」と驚かされる。このパターンが1シーズンに何度もあったことは、記憶に強く残っている。
5対4でドラゴンズが逆転したと分かっても、2度、3度と画面の文字を追い、「5」の数字が間違いなくドラゴンズ側だと確かめ、「やっぱり、逆転したんじゃないか!」とホッとする。それから喜びがじわじわとこみあげてくる瞬間は、まさしく至福という表現が似合った。
携帯電話を持ったのは早かった私が、スマートフォンへの乗り換えにはずいぶん時間がかかったのは、実はこの不親切な「文字だけ情報」で試合を追い、喜びを倍加させる習慣が身に付いていたことが関係しているのかもしれない。
「最下位でも大入りの球場」に思うこと
冷静に当時を振り返ってみても、やはりナゴヤドームの客入りが悪かったということには、どうしても納得がいかない。しつこいけど。
ドラファンは、「熱い応援」が身上ではなかったのか。かつては相手チームの守備を妨害するため、外野席に陣取ったドラファンたちがグラウンドにモノを投げ入れていたほど、暴走していたではないか。
褒めてはいない。その件では、野球ファンからかなりの顰蹙を買った。私がやったことではないが、同じドラファンとして反省もしている。
でも、阪神ファンもまあまあヤンチャにグラウンドにモノを投げ込んでいたと思うし、広島ファンは名古屋以上に過激だった印象もある。しかし、なぜかいつの間にか「物の投げ込み=ドラファン=人間がなってない」という等式ができあがってしまった。
まぁ、やったのは事実だから言い訳はしない。でも、昭和の時代だから。罪刑法定主義で、遡及処罰は禁止だから、もう責めないで。
普段は善良な市民が敵に対して過激な行動をとってしまう現象としては、サッカーのフーリガンなどが有名だが、歴史的には、まさしくジャン=ジャック・ルソーが懸念した国民国家時代の自家中毒とも似ている。
ドラゴンズ愛が時にルールを逸脱してしまうことと、人品骨柄は一致しないという理屈を言いたいのだが……、関係ないか。はい。
ちょっと戻って、タニマチだけではなくファンの足までがナゴヤドームから遠のいたという問題だが、やっぱり意味不明だ。