これは東京の参謀本部が決めた方針だから、現地部隊は「それでも白軍と共闘する」とは言えない。ただ日本軍は、昨日まで友軍だった白軍兵士や友人であった白系ロシア人(先に述べたようにユダヤ系が多かった)たちが処刑され、略奪、暴行などに見舞われることを危惧していた。そこでトリャピーツインは、言葉巧みに次のような条件を日本側に示した。
〈【1】白軍派守備隊はすべての武器と装備を日本軍本部に引き渡し、義勇隊も武装解除しなければならない。
【2】軍人と市民は全員、赤軍派が街に来るまで元の場所に留まらねばならない。
【3】非戦闘員はいかなるテロルにも遭ってはならず、各人の財産と人格は不可侵でなければならない。
【4】街の警備は赤軍派が来るまで日本軍本部が責任を負う。〉
(以下略。引用前掲書)
これらが赤軍によって忠実に守られれば、そもそも「尼港事件」など起こりようも無かった。しかし、彼らは約束を守るような集団では無い。前にも述べたが、彼らは織田信長以前の日本で戦国時代には各地で実行されていた乱妨取り(乱取り)を当然の「権利」と考えていた。
信長以前の大名は自国の百姓を足軽として戦争に駆り立てる際の「ボーナス」として、敵地の城や町を陥落させたら住民に対する略奪、暴行を黙認していた。戦争という「人殺し」に嫌々参加させられ無報酬だった足軽には、これが必要だったのである。信長は兵士に給与を払うことによって乱妨取りを固く禁じたのだが、じつは中国やロシアなど、はっきり言えば「後進国」ではこの習慣が根強く残っていた。
いや、この二十一世紀になってもロシアは刑務所に収監されていた凶悪犯を牢獄から出して武器を与え、ウクライナ侵略戦争に動員している。そういう国なのである。だからこそレーニンは赤色パルチザンを大きく活用することができた。犯罪者に「お墨付き」を与えて白系ロシア人を襲わせるという形で軍事力を強化できるからだ。嫌な話だが、白系の人々は貴族階級であったりブルジョアジーであったから、まさに「乱妨取り」の「獲物」としてはきわめて魅力的だった。
またこの当時、日本は韓国を併合していたから朝鮮民族は基本的に日本国籍を持つ日本人なのだが、儒教的偏見やその他の事情によって日本国籍を捨て「朝鮮人」を名乗り赤色パルチザンに積極的に参加した人々もいた。現代の韓国や北朝鮮ではこうした人間は独立運動の先駆者として英雄になっている。しかし全部が全部とは言わないが、その大部分は「後進国」の中国やそれに盲従した朝鮮の意識を持っていた。
わかりやすく言えば、「乱妨取り」は彼らにとっては当然の役得であった。中国人は自分たちの儒教体制を世界唯一の文明とし、それゆえ自分たちは世界一の文明人だと信じていた。彼らの目から見れば、儒教体制の根幹である科挙を実施できなかった日本は野蛮国であり、中国ではいかに下級の兵士が「乱妨取り」に励もうと、逆に日本軍が厳しい軍規のもとにそうした行為を一切禁止しても、中国のほうが文明国であるという結論は変わらないのである。それが儒教体制、朱子学世界の恐ろしさだ。
じつはこのときも、中華民国軍の軍人と日本から離脱した朝鮮人の集団がトリャピーツインの配下に加わっていた。だから「文明人」グートマンは、『ニコラエフスクの日本人虐殺』の序文で、彼らについて次のように述べている。
〈これら(=大虐殺。引用者註)すべてをやったのはロシア人だ。ロシアの共産主義者やソヴィエト政権の手先が遠く離れたさびれた地方に第三インターナショナル(コミンテルン)の血なまぐさいスローガン「ブルジョアジー、知識層、将校を殲滅せよ」を持ち込んだのだ。哀しいことに、彼らの後ろに従ったのが労働者農民であり、ろくでもない烏合の衆であり、半未開の異民族である朝鮮人と中国人だった。(傍点引用者)〉
赤色パルチザンがこうした集団であることを、日本の現地部隊は見抜けなかった。いや、「暴行、略奪の禁止」を合意事項に盛り込んだのだから危惧はしてはいたのだが、残念ながら見通しが甘かったと言わざるを得ない。
後知恵を言うなら、現地部隊は白軍との共闘関係を崩さず港の氷が溶けるまで(海から援軍ないし偵察部隊が来るまで)ニコラエフスクを死守するという、「北京の55日」的な戦術はあった。しかし中央の命令は絶対であるから、さすがにそこまで独断専行はできなかったろう。そしてこの後、赤色パルチザンは約束をまったく守らず、白系ロシア人に対して略奪、暴行、殺害を始めた。
それはまさに筆舌に尽くしがたい、おぞましいものだった。
(第1451回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の80年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『真・日本の歴史』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2025年4月18・25日号