本州と九州を結ぶ交通手段に鉄道が加わり往来が激増したこともあって、門司駅の拡張も計画される。1914年、門司駅は約200メートル移転して、2代目の駅舎が誕生した。2代目駅舎のプランをすすめた内閣の鉄道院は、門司の繁栄を誇示するべく駅舎をルネサンス建築の荘厳さに新しい建築方式を加えたネオ・ルネッサンス様式で建築し、内装や調度品も豪奢で贅沢なあつらえで飾られた。
2代目の門司駅舎は、連絡船に加えて1943年に関門海峡トンネルが開通したことで九州の鉄道の起点機能を果たすようになる。それを機に、駅名を門司港駅へと改称。名称としての門司駅は、それまでの大里駅が引き継ぐ。
都市開発と歴史の保存をどう両立させるか
1988年、門司港駅はネオ・ルネサンスの重厚感あるデザインなどを残していることから、歴史的な価値が高いとの評価を受けて重要文化財に指定された。今も現役の駅舎で重要指定文化財に指定されているのは、美しい赤レンガの東京駅と門司港駅の2つしかない。
そんな歴史ある旧門司駅跡から、今回の発掘調査によって歴史的価値の高い埋蔵物や遺構が出土したわけだから、鉄道史や郷土史の研究者などが歓喜の声をあげたことは当然のことだろう。いまだ初代の旧門司駅については解明されていない部分が多く、これらの遺構や出土品は大きな発見となった。
しかし、出土した遺構は現地でそのまま保存されることはないという。
「同地には複合施設の建設が計画されています。発掘調査は、そのために実施されたものですから、遺構が発見されても現地で保存することは難しい状況です。有識者による検討の結果を踏まえ、出土した埋蔵文化財の一部を埋蔵文化財センターへと移設して保存することになります」(同)
歴史をどのように保存するのか。この問題は、近年になって行政や大企業を悩ませている。最近の例でいえば、2019年に品川駅の改良工事で高輪築堤跡が出土したケースが記憶に新しい。