高輪築堤は、日本最初の鉄道区間に築かれた鉄道用地で、時代とともに使用されなくなったために埋め立てられた。高輪築堤の出土は鉄道史の研究者のみならず、建設関係や近代史の研究者たちにも大きな影響を与えた。
そのため、幅広い分野の研究者から現地保存を望む声があがった。そうした声は政界にも届き、菅義偉首相(当時)が現地を視察するほどだった。菅首相が視察したことを受け、政政界からも保存を働きかける動きが活発化した。
高輪築堤の保存に関して、事業者であるJR東日本は再開発事業の計画に狂いが生じることから遺構の一部のみ保存することを表明。これが、研究者や鉄道ファン、地元自治体の港区を巻き込む議論に発展した。
北九州市の初代・門司駅と高輪築堤は、いずれも都市開発と歴史の保存をどうやって両立させるのか、といった問題で共通している。
時代とともに歴史はどんどん積み重なり、後世へと継承していかなければならないモノは際限なく増えていく。昨今はデジタル化が盛んに進められて、必ずしも現物で保存する必要はないとする意見もある。
しかし、技術は歳月とともに進化を続けている。一昔前なら、デジタルカメラがなく、記録保存をするにも写真の点数には限りがあった。また、ITを活用することで計測も容易になり、多くの出土品をサンプルとして保存しなくても資料を受け継ぐことが可能になった。
とはいえ、今後、新しい技術によって、これまでは不可能だった歴史的な事実の解明が進む可能性もある。それだけに、現地保存をするにしても移築して一部を保存するにしても、拙速な判断は危うい。熟議が求められる。
仮に一部の保存だけで済ませて旧門司駅跡地に公共施設を建設した場合、その新技術が誕生した際に「あのとき、なんで保存しておかなかったのか」と後世の人たちから難詰されるかもしれない。
とはいえ、すべての歴史物を保存することは物理的にも不可能で、現実的ではない。行政や事業者は今を生きる人たちの暮らしを守り、快適な生活を保障する責務を負っている。
何を現地や現物で保存し、どれを記録保存で済ませるのか。歴史の保存と現代の生活をどう両立させるのか。行政や企業は厳しい選択を迫られている。