確かに焼鳥屋にモツ焼屋、串カツ屋におでん屋に郷土料理と、赤提灯一つ見ても細分化され、酒屋で簡単なつまみと酒を供する大阪の〈角打ち〉や、おでん種を売る店先で昼間から呑める赤羽の『丸健水産』など、業態や地域性の点でもバラエティに富む。そして何より居酒屋を〈消費する場〉ではなく〈交流する場〉として捉える氏の好みは断然、個人経営の非チェーン店だ。
「商業至上主義や効率主義がいかに街や文化をダメにするか、アメリカでイヤというほど見てきた私が東京の何に感動したかと言えば、大都会に個人商店が点在し、濃密な共同体の中にも程よい距離感が保たれていた点です。居酒屋でも他人同士が名前で呼び合う一方、構われたくない時は構わないでいてくれる。そこでは我々人間が顧客ではなく〈一個人〉でいられるんです。
今あるものを壊し、どこにでもあるものを建てれば、街はキレイにはなる。でも何気ない路地にも人は何か温かいものを感じてきたはずで、失ってから気づいても後の祭り。富士山が文化財なら、居酒屋や銭湯だって立派な文化財なんです」
第三の場とは〈〈日常〉と〈非日常〉との間〉を示す都市社会学の概念で、著書『サードプレイス』の中でアメリカにおけるその喪失を嘆く社会学者レイ・オルデンバーグは、〈民主主義社会には不可欠〉な第三の場の例としてイギリスのパブやパリのカフェを挙げる。
一方日本及び居酒屋文化に精通したモラスキー氏は〈社会的地位による格差をなくす効果〉や〈ホモソーシャルな場〉といった共通点に触れながら「居酒屋は酒肴以外に何を提供しているか」を具(つぶさ)に検証。中でも注目は〈共有〉という着眼点だ。大衆酒場や立ち呑み屋では混雑時の合席や会話の共有も当たり前。西荻窪の焼鳥店『戎』では指先を拭く〈布きん〉まで共有し、それらをサラリとこなしてこそ熟練の酒呑みなのだ。
「客1人が専有する時空間が少ない店と多い店は単に安い店と高い店というより、店側・客側の〈けじめ〉や〈貫禄〉が問われる大事な部分。その店に合った振る舞いを求められる点も居酒屋の魅力を構成する重要な要素で、いい店というのはある程度とっつきにくいがゆえに第三の場や文化たり得るわけです。その目に見えない美学を共有できれば居心地は俄然よくなり、路地や街並を残す際もその根底にある美学や歴史への十分な理解が成否を分ける。