日本で熱烈な信奉者を増やす韓国人監督がいる。キム・ギドク、54歳。韓国の東南部、慶尚北道の山村に生まれ、工場勤務を経て20歳で海兵隊に志願。除隊後はパリに渡って絵を売って生計を立てる。帰国後、脚本家として映画業界に入った。暴力や性描写の過激さから長く不遇を味わうが、ヴェネチア、ベルリン、カンヌの世界三大映画祭で賞を獲得。国内を飛び越え、いまやアジアを代表する監督になったが、彼の映画哲学の原点には、韓国という国が抱えるゆがみが垣間見える。(取材・文/ジャーナリスト・三好健一)
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キム・ギドク監督は、韓国映画に対する世界の評価を、たった一人で変えた男だ。社会批判を強烈に漂わす作品をコンスタントに世に問い続け、世界の有力な映画賞を総なめにしてきた。韓国社会の「民主主義」の内実をえぐり出す新作『殺されたミンジュ』が、2016年1月16日から日本で公開される。
映画はミンジュという名の少女が、謎の男たちにガムテープで窒息死させられるシーンから始まる。殺害の理由の説明は一切ない。
復讐のために組織された「シャドー」という7人の集団が現れ、殺害にかかわった政府機関の人間を一人ずつ拉致し、「去年5月9日に何が起きたか、お前がしたことをすべて書け」と命じる。断れば、拷問にかける。痛快な復讐劇かと思わせながら、そこで終わらないところも、キム・ギドクらしい。
荒唐無稽な設定のなかに、突き刺すリアリティを潜ませる。その危ういバランス感覚が、彼の作品の最大の魅力であり、最大の難所でもある。この複雑な物語を10日間で撮りきったというから驚かされる。
キム・ギドクとのインタビューは、少女ミンジュの死の意味を尋ねる質問から始めた。答えは明快だった。
「殺されたのは少女ですが、それだけではありません。彼女のミンジュという名前は、韓国語では民主の意味でもあります。いま、韓国では民主主義が殺されている。そのことを批判した作品なのです」
復讐集団「シャドー」の7人の顔ぶれは、安月給の自動車整備工や、借金に追われた者など、幸福そうな人間はいない。ミンジュの家族であろうと思われるリーダーも、防空壕のなかで暮らす元軍人である。
──私たちのイメージにあるのは、サムスンのような大企業が巨額の利益を稼ぎ出し、日本を超えるほど豊かになった韓国です。シャドーの7人とは、大きな落差があります。
「私が撮りたかったのは、経済大国とされている韓国に暮らしながら、抑圧され、陽のあたらない場所で生きている人々であり、韓国社会のひずみ、ゆがみに対して、必死に抵抗しているキャラクターです。韓国では、個人の欲が優先され、自分の利益を優先した権力者たちの間違った政策のせいで貧富の格差が広がり、社会の憤りが増している状況にあります」
確かに経済格差の大きさも聞き及ぶ。しかし、その実相は旅行したぐらいではなかなか見えてこないだろう。だからこそ、この映画が必要なのだ。
──韓国の人たちは自国の発展や文化に非常に誇りを持ち、常に外国に負けないように張り合っていると日本では思われています。しかし、あなたの映画からは、韓国人が幸福であるようには思えないのですが。
「韓国は世界的に自殺率が最悪レベルの国です。自殺率が高いのは、内在している苦痛の大きさが現れている。皆さんはメディアを通じて韓国の明るい面だけ見えているかもしれませんが、お金のある人も、ない人も、実際は爆発直前のダイナマイトのような心理を抱え、ぎりぎりまで膨張した風船のようなものです。もちろんこれは私の考えであって、違う見方もあるでしょう」
興味深いのは、この7人の集団が、ミンジュ殺害にかかわった政府機関の人間を拉致し、制裁を加えるたびに、服装を軍隊風や暴力団風に変えていることだ。
──復讐する側が、復讐される相手と同じような服装を身にまとう「コスプレ」には、どのような含意が込められているのですか。
「韓国の歴史を理解するには、5.18光州事件(*1)や5.16軍事クーデター(*2)のことを忘れてはいけません。組織暴力団が権力と癒着して暴力を市民に振るったり、国家の諜報機関が民間人を殺害したりしています。民衆の合法的なデモが弾圧されることもある。軍や警察が違法行為をしているのです。これらが民主主義を阻んでいます。多くの犠牲を払ってかろうじて勝ち取った民主主義であるにも関わらず、正しく権力を行使せず、民主を後退させている。その悲しい皮肉を、シャドーの服装を通して描いているのです」
【*1 5.18光州事件/1980年5月18日、金大中氏の支持基盤である光州で大規模なデモが発生。軍隊が出動し、200人以上が死亡・行方不明になった】【*2 5.16軍事クーデター/1961年、朴正熙・当時陸軍少尉が起こした軍事クーデター。国家再建最高会議を組織し、のち大統領の座に正式に就いた】