冷戦時代の真っ只中、国防を米国に依存することへの矛盾を声高らかに表明した社会学者がいた。1988年に物故したその男の言葉は、いま不気味な説得力を持って蘇りつつある。思想史家・片山杜秀氏が綴る。
* * *
日本よ、国家たれ! 核武装せねば国家に非ず。そう言い放った人が居た。清水幾太郎である。もう36年前。1980(昭和55)年のこと。オピニオン誌『諸君!』の7月号に清水は「核の選択日本よ国家たれ」という論説を発表した。
彼は社会学者。1907年に生まれ、1988年に逝った。戦時期から活躍。戦後には論壇をリードした。「60年安保」の際には「安保反対」の市民運動の先頭に立った。社会主義寄りの「進歩的知識人」の代表と目された時期も長かった。
その清水が核武装を唱える。「平和憲法」を有するこの国で。まさに衝撃的。私は当時高校生。『諸君!』を買いに書店へ走った。何しろ「日本よ国家たれ」。題名だけで、核兵器を持たないわが国は現代世界においてまともな大国とみなしえないと宣言している。センセーショナル! だが、中身はというと、むしろ淡々として冷静だった。
清水は愛国者で、しかも日本の自主独立を第一義に考えた。他国にすがりたくなかった。そのうえリアリストでプラグマティスト。彼は60年には「安保反対」だったけれど、反対する知識人にもいろいろ居た。
日米関係よりも日中や日ソの関係を重視する立場。岸信介内閣の強権的な手続きの進め方に反発し、民主主義を擁護しようとする立場。日米同盟強化を嫌うが、代わりに日ソ同盟や日中同盟を考えるわけでもなく、他国に過度に依存しない日本を目指す立場。このうち清水は最後の立場だったかと思われる。
とすれば「安保反対」だった清水がのちに核武装を説いたことにあまり矛盾はない。自国の自主性や独立性を高めるには、自国の防衛を他国任せにすることに反対し、自国の軍事力強化に賛成するのはあまりに当然だから。