「安保」がなくなるとしたら、その後の日本の安全保障はどうなるか。日本国憲法の前文のうたうように非武装や軽武装でも「平和を愛する諸国民の公正と信義」に期待すれば平穏無事に暮らせるか。
リアリストの清水にそんな幻想はない。強き国が弱き国を挫く。それが国際社会の鉄則。きれいごとの通る余地はない。日本は「経済大国」に相応しい規模の軍備を持たねば枕を高くして眠れない。20世紀後半の大国の条件が核武装なら、日本もそうするのが筋。「安保」の無くなるその先を、理想論を廃してプラグマティックに考えれば、どうしてもそうなる。清水は述べる。
「私たちが最初の被爆国としての特権を有するのであれば、日本こそ真先に核兵器を製造し所有する特権を有しているのではないか」
すると清水はそんな議論を、なぜ他の年ではなく1980年に公にしたのか。その頃、米国がソ連に対して軍事的に劣勢になり、日米安保体制にも陰りが見え始めたかのようにも思われたからである。
第二次世界大戦後、米ソは核軍備拡張競争を凄絶に繰り広げた。米国が先行し、ソ連が追う。ソ連では、スターリンを継いだフルシチョフが、通常戦力を削減して予算を核兵器に振り向けた。米ソ両国が全面核戦争に及べば人類は滅亡する。1960年前後にはそういう段階に達した。核兵器は戦力というより抑止力になった。
戦争をやったらみんな死ぬ。核戦争に勝者なし。絶対に人類を滅亡させないためには絶対平和主義しかない。核時代に対応する人類の模範的規則が日本の「平和憲法」。そうも思えた時代がやってきた。
が、清水によればその時代はまたたく間に終わった。フルシチョフは、通常兵器による戦争から核兵器による戦争に時代は進化してもう後戻りはしないと考えた。対して彼を継いだブレジネフは、核戦争ができなくなれば通常兵器による戦争に時代は退化して後戻りすると考えた。ブレジネフは改めて通常戦力の増強に努めだした。これはなかなか道理に適った選択だった。