秀夫は、両腕を組み、威圧感を漂わせる口ぶりで、私にそう言った。父が死に到った過程を、息子は一切知らされていなかった。そうした父の死に関する疑念は、4年後、事件化されたことで家族への不信に変わり、家族関係に亀裂を走らせた。苛つく表情で、話を続ける。
「向こう(疎遠の家族)は、須田先生とは何度も話し合いをしてきたみたいなんですよ。だからなんかあったんだろうなぁ。それで、俺が病院に駆けつけたら、急に管かなんかが外されて、注射を打たれて親父が死んじまってね。何が起こったのか、まったく分かんなかったんだ。そん時ね、俺、なんかおかしくねぇかって。俺は、親父の意識がなくても、ちゃんと看病して家で介護するつもりだったんだよ。それがあんなふうに死んじまった」
当時を鮮明に思い出したのか、口数が次第に増えていく。その怒りは事後の病院対応に向かっていった。
「数年後、突然、うちに病院の関係者が4人来たんだよ。あの件について、どうか伏せていてくれとね。で、お金も持ってきたんだけど、俺は『金なんかいらねえんだよ、俺が欲しいのは親父の命なんだよ』ってね。ぶん殴ってやろうかと思いましたよ。それで、俺はこんなだから、口悪いし、短気だからさ、黙ってないんだよ。あいつらに俺は『あれって安楽死じゃねぇのか』って言ったんだよ。俺は起こったことをそのまま言うぞって言ったら、あいつら自身が病院で会見したんだよ」
おそらく前段にマスコミにリークがあり、病院側は慌てて、家族のもとへ足を運んだのだろう。病院側は、金銭の補償もちらつかせた。だが、秀夫さんには、その行動こそ、父の命を軽視していると映った。
2002年4月19日、院長らが、記者会見を行い、「安楽死の要件は満たしていない」と発表し、謝罪した。つまり、組織防衛のために須田一人を見殺しにした形だ。秀夫さんは、他の従業員が中に入ってくると、話を打ち切った。
「今日はたまたま従業員がいないからこんなこと話せたけど、もしいたら、あんたのことを押し倒してでも追い払っていたからな」